風 に 吹 かれ て も。 「風が吹」に関連した英語例文の一覧と使い方(6ページ目)

風にふかれて

風 に 吹 かれ て も

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辉夜大小姐想让我告白?ED

風 に 吹 かれ て も

高窓 ( たかまど )の 障子 ( しょうじ )の 破 ( やぶ )れ 穴 ( あな )に、 風 ( かぜ )があたると、ブー、ブーといって、 鳴 ( な )りました。 もう 冬 ( ふゆ )が 近 ( ちか )づいていたので、いつも 空 ( そら )は 暗 ( くら )かったのです。 まだ 幼年 ( ようねん )の 彼 ( かれ )は、この 音 ( おと )をはるかの 荒 ( あら )い 北海 ( ほっかい )をいく、 汽船 ( きせん )の 笛 ( ふえ )とも 聞 ( き )きました。 家 ( いえ )から 外 ( そと )へ 飛 ( と )び 出 ( だ )して、 独 ( ひと )り 往来 ( おうらい )に 立 ( た )っていると、 風 ( かぜ )が、 彼 ( かれ )の 耳 ( みみ )もとへ、 「 明日 ( あした )は、いいことがある。 」と、ささやきました。 「そうだ、きっとお 父 ( とう )さんが、 明日 ( あした ) 帰 ( かえ )っていらっしゃるのだ。 」 彼 ( かれ )は、 希望 ( きぼう )を 持 ( も )って、 明 ( あか )るくその一 日 ( にち )を 過 ( す )ごすのです。 彼 ( かれ )の 生 ( う )まれた 町 ( まち )は、 小 ( ちい )さな 狭 ( せま )い 町 ( まち )でした。 火 ( ひ )の 見 ( み )やぐらの 頂 ( いただき )に、 風車 ( ふうしゃ )がついていて、 風 ( かぜ )の 方向 ( ほうこう )を 示 ( しめ )すのであるが、 西北 ( せいほく )から 吹 ( ふ )くときは、 天気 ( てんき )がつづいたのであります。 空 ( あ )き 車 ( ぐるま )の 上 ( うえ )へ 馬子 ( まご )が 乗 ( の )って、 唄 ( うた )などうたい、 浜 ( はま )の 方 ( ほう )へ 帰 ( かえ )る、ガラ、ガラという、 轍 ( わだち )の 音 ( おと )が、だんだんかすかになると、ぼんやり 立 ( た )って、 聞 ( き )いている 彼 ( かれ )の 耳 ( みみ )もとへ、 風 ( かぜ )は、 「 明日 ( あした )は、いいことがある。 」と、ささやくのでした。 すると、 急 ( きゅう )に 彼 ( かれ )の 目 ( め )は、 喜 ( よろこ )びに 燃 ( も )えるのでした。 「そうだ、 明日 ( あした )は、お 客 ( きゃく )さまがあるのかもしれない。 」 まれに、 彼 ( かれ )の 家 ( いえ )へ 珍 ( めずら )しい 客 ( きゃく )があって、おもしろい 話 ( はなし )をしてくれるのを、 彼 ( かれ )は、どんなにうれしく 思 ( おも )ったでしょう。 ある 日 ( ひ )、 彼 ( かれ )は、 停車場 ( ていしゃば )で、 美 ( うつく )しい 女 ( おんな )の 人 ( ひと )を 見 ( み )ました。 ようすつきから、この 土地 ( とち )の 人 ( ひと )でなく、 旅 ( たび )の 人 ( ひと )だということがわかりました。 そして、いいしれぬやさしい 顔 ( かお )は、かえって 悲 ( かな )しみをさえ 感 ( かん )じさせたのです。 彼 ( かれ )は、その 人 ( ひと )の 顔 ( かお )を 忘 ( わす )れることができませんでした。 汽車 ( きしゃ )が 遠 ( とお )く 去 ( さ )ってしまった 後 ( あと )、かぼちゃの 花 ( はな )の 咲 ( さ )く 圃 ( はたけ )に 立 ( た )ち、 無限 ( むげん )につづく 電線 ( でんせん )の 行方 ( ゆくえ )を 見 ( み )やりながら、 自由 ( じゆう )に 大空 ( おおぞら )を 飛 ( と )んでいるつばめの 身 ( み )を、うらやんだことがありました。 ちょうど、そのころ、 他国 ( たこく )から 帰 ( かえ )った、 親類 ( しんるい )のおじさんがありました。 一同 ( いちどう )は、この 人 ( ひと )のことを 道楽者 ( どうらくもの )だと、よくいわなかったけれど、 彼 ( かれ )には、いつも 思 ( おも )いやりのある 言葉 ( ことば )をかけてくれたし、 怒 ( おこ )った 顔 ( かお )を 見 ( み )せなかったので、なんとなく 慕 ( した )わしく 思 ( おも )われました。 おじさんは、 孤独 ( こどく )なのが、さびしかったのでしょう、ときどきマンドリンなど 鳴 ( な )らして、 独 ( ひと )りで 自分 ( じぶん )をなぐさめていました。 このことを 知 ( し )ったときから、 彼 ( かれ )にも 音楽 ( おんがく )が、なによりか 好 ( す )きなものとなったのです。 彼 ( かれ )の 少年時代 ( しょうねんじだい )は、いつしか 去 ( さ )りました。 そして、 小 ( ちい )さな 町 ( まち )をはなれて、 大 ( おお )きな 市 ( し )へ 移 ( うつ )るころには、 彼 ( かれ )はもうりっぱに 働 ( はたら )きのできる 若者 ( わかもの )でありました。 けれど、 心 ( こころ )に 芸術 ( げいじゅつ )を 忘 ( わす )れなかったのです。 町 ( まち )の 中 ( なか )を 川 ( かわ )が 流 ( なが )れていた。 橋 ( はし )の 畔 ( たもと )に 食堂 ( しょくどう )がありました。 彼 ( かれ )はこの 家 ( いえ )で 友 ( とも )だちといっしょに 酒 ( さけ )を 飲 ( の )んだり、 食事 ( しょくじ )をしたのでした。 和洋折衷 ( わようせっちゅう )のバラック 式 ( しき )で、 室内 ( しつない )には、 大 ( おお )きな 鏡 ( かがみ )がかかっていました。 その 傍 ( かたわ )らには、 幾 ( いく )つもびんの 並 ( なら )んだ 棚 ( たな )が 置 ( お )いてあった。 酒 ( さけ )と 脂 ( あぶら )のにおいが、 周囲 ( しゅうい )の 壁 ( かべ )や、 器物 ( きぶつ )にしみついていて、 汚 ( よご )れたガラス 窓 ( まど )から 射 ( さ )し 込 ( こ )む 光線 ( こうせん )が 鈍 ( にぶ )る 上 ( うえ )に、たばこの 煙 ( けむり )で、いつも 空気 ( くうき )がどんよりとしていました。 たとえ四 季 ( き )おりおりの 花 ( はな )が、 棚 ( たな )の 上 ( うえ )に 活 ( い )けてあっても、すこしも 新鮮 ( しんせん )な 感 ( かん )じを 与 ( あた )えず、その 色 ( いろ )があせて 見 ( み )えた。 それとくらべていいように、そこにいる 女 ( おんな )たちは、 濃 ( こ )く 口紅 ( くちべに )をつけ、 顔 ( かお )に 厚 ( あつ )く 白粉 ( おしろい )を 塗 ( ぬ )っていたけれど、なんとなく 若 ( わか )さを 失 ( うしな )い、 疲 ( つか )れているように 見 ( み )えたのです。 しかるに、 彼 ( かれ )は、あるとき、ハーモニカで、「 故郷 ( こきょう )の 歌 ( うた )」をうたいました。 目 ( め )に 広々 ( ひろびろ )とした、 田園 ( でんえん )を 望 ( のぞ )み、 豊穣 ( ほうじょう )な 穀物 ( こくもつ )の 間 ( あいだ )で 働 ( はたら )く 男女 ( だんじょ )の 群 ( む )れを 想像 ( そうぞう )し、 嬉々 ( きき )として、 牛車 ( ぎゅうしゃ )や、 馬 ( うま )の 後 ( あと )を 追 ( お )う 子供 ( こども )らの 姿 ( すがた )を 描 ( えが )いたのであります。 一 曲 ( きょく ) 終 ( お )わると、すすり 泣 ( な )く 女 ( おんな )の 声 ( こえ )がしました。 翌日 ( よくじつ )この 店 ( みせ )をやめて、 故郷 ( こきょう )へ 帰 ( かえ )った 女 ( おんな )があります。 彼女 ( かのじょ )の 故郷 ( こきょう )が、 彼 ( かれ )の 歌 ( うた )が、 彼女 ( かのじょ )の 魂 ( たましい )を 呼 ( よ )びもどしたのです。 メーデーの 日 ( ひ )でした。 丘 ( おか )の 上 ( うえ )の 新緑 ( しんりょく )が、 風 ( かぜ )に 吹 ( ふ )かれて、さんさんとした、 日 ( ひ )の 光 ( ひかり )の 中 ( なか )で 躍 ( おど )っていました。 見 ( み )わたすと、 乳色 ( ちちいろ )の 雲 ( くも )が、ちょうど 牧人 ( ぼくじん )の、 羊 ( ひつじ )の 群 ( む )れを 追 ( お )うように、 町 ( まち )を 見 ( み )おろしながら、 飛 ( と )んでいくのでした。 風 ( かぜ )は、 彼 ( かれ )の 耳 ( みみ )もとへ、 「 明日 ( あした )は、いいことがある。 」と、いつものように、 希望 ( きぼう )をささやきました。 彼 ( かれ )は、 友 ( とも )だちと 腕 ( うで )を 組 ( く )み、 調子 ( ちょうし )をそろえて、 労働歌 ( ろうどうか )をうたった。 その 声 ( こえ )の 響 ( ひび )く 間 ( あいだ )は、 美 ( うつく )しい 数々 ( かずかず )の 幻想 ( げんそう )が 浮 ( う )かびました。 たとえば、百 貨店 ( かてん )にあるような、 赤 ( あか )、 青 ( あお )、 緑 ( みどり )の 冷 ( つめ )たく 透 ( す )きとおるさらや、コップなどを 製造 ( せいぞう )するガラス 工場 ( こうじょう )の 光景 ( こうけい )とか、 忽然 ( こつぜん )それが 消 ( き )えると、こんどは、 高 ( たか )い 煙突 ( えんとつ )から 黒 ( くろ )い 煙 ( けむり )が 流 ( なが )れ、また 幾本 ( いくほん )となく 起重機 ( きじゅうき )のそびえたつ、 大 ( おお )きな 鉄工場 ( てっこうじょう )が 現 ( あらわ )れるのでした。 そして、 歌 ( うた )がやむとともに、それらの 形 ( かたち )と 影 ( かげ )もどこへか 没 ( ぼっ )してしまいました。 彼 ( かれ )が、またハーモニカで、インターナショナルをうたったときには、 洋々 ( ようよう )たる 海原 ( うなばら )が 前面 ( ぜんめん )へ 盛 ( も )り 上 ( あ )がりました。 そして、 汽船 ( きせん )の 過 ( す )ぎた 後 ( あと )には、しばらく 白浪 ( しらなみ )があわだち、それも 静 ( しず )まると、 海草 ( かいそう )がなよなよと、 緑色 ( みどりいろ )の 旗 ( はた )のごとくなごやかにゆれるのでありました。 彼 ( かれ )の 青年時代 ( せいねんじだい )は、 夢 ( ゆめ )も 多 ( おお )かったかわりに、また、 反面 ( はんめん )あまりに 醜 ( みにく )かった 現実 ( げんじつ )のために、 焦燥 ( しょうそう )と 苦悶 ( くもん )をきわめたのです。 目 ( め )で 見 ( み )た、一つの 例 ( れい )をとれば、ここに 毎朝 ( まいあさ ) 出勤 ( しゅっきん )する 紳士 ( しんし )があります。 その 人 ( ひと )は、 気 ( き )むずかしく、 家庭 ( かてい )では、なにか 気 ( き )にいらぬことでもあれば、 罪 ( つみ )のない 細君 ( さいくん )をしかり、 子供 ( こども )をなぐったりしたのに、 出社 ( しゅっしゃ )して、 上役 ( うわやく )の 前 ( まえ )では、まったく 別人 ( べつじん )のごとく、 頭 ( あたま )をぺこぺこして、 愛想 ( あいそう )がよかったのです。 しかるに、 上役 ( うわやく )は、 冷然 ( れいぜん )として、 皮肉 ( ひにく )な 目 ( め )つきで、その 男 ( おとこ )を 見下 ( みくだ )して、 命令 ( めいれい )します。 この 場合 ( ばあい )、だれが 聞 ( き )いても 無理 ( むり )と 思 ( おも )われるようなことでも、 男 ( おとこ )は、 服従 ( ふくじゅう )しなければなりませんでした。 風彩 ( ふうさい )からいえば、その 男 ( おとこ )のほうが、 上役 ( うわやく )よりりっぱでした。 頭髪 ( とうはつ )をきれいに 分 ( わ )け、はいているくつも 出 ( で )かける 前 ( まえ )に、 哀 ( あわ )れな 細君 ( さいくん )が 念 ( ねん )をいれてみがいたので、ぴかぴかと 光 ( ひか )っています。 まだ 社 ( しゃ )では、それでもいいが、 男 ( おとこ )は、ときどき 上役 ( うわやく )の 家庭 ( かてい )へも、ごきげんを 伺 ( うかが )いに 出 ( で )なければなりません。 我 ( わ )が 家 ( や )では、 妻 ( つま )や 子供 ( こども )らに 対 ( たい )して、 厳格過 ( げんかくす )ぎるといってもいいのに、 上役 ( うわやく )の 家 ( いえ )では、やんちゃ 坊主 ( ぼうず )を 晴 ( は )れ 着 ( ぎ )の 脊中 ( せなか )へ 乗 ( の )せて、 馬替 ( うまが )わりとなって 歩 ( ある )きます。 これは、そうした 社会 ( しゃかい )の 話 ( はなし )であるが、 音楽家 ( おんがくか )や、ほかの 芸術家 ( げいじゅつか )も、また 同 ( おな )じでした。 ある 美貌 ( びぼう )の 声楽家 ( せいがくか )は、 指 ( ゆび )に 宝石 ( ほうせき )をかがやかせ、すましこんで、ステージに 立 ( た )ち、たとえ 聴衆 ( ちょうしゅう )を 睥睨 ( へいげい )しながら 歌 ( うた )っても、 蔭 ( かげ )では、 権力 ( けんりょく )のあるものや、 金力 ( きんりょく )あるもののめかけであったり、 男 ( おとこ )どもには、 幇間 ( ほうかん )に 類 ( るい )するやからが 少 ( すく )なくなかったのでした。 こうした 社会 ( しゃかい )を 見 ( み )、こうした 現実 ( げんじつ )を 知 ( し )るとき、 彼 ( かれ )は、 余 ( よ )の 人 ( ひと )のごとく、 平然 ( へいぜん )たることができなかったのです。 ただ 聰明 ( そうめい )をかいたがため、 階級 ( かいきゅう )に 対 ( たい )しては、 組織 ( そしき )ある 闘争 ( とうそう )でなければならぬのを、一 途 ( ず )に 身 ( み )をもって、 憎 ( にく )いと 思 ( おも )う 対象 ( たいしょう )にぶつかりました。 それ 故 ( ゆえ )に、 結局 ( けっきょく )へとへとになって、 揚句 ( あげく )は 酒場 ( さかば )で 泥酔 ( でいすい )し、わずかに 鬱 ( うつ )を 晴 ( は )らしたのです。 彼 ( かれ )は、 芸術 ( げいじゅつ )を 商品 ( しょうひん )に 堕落 ( だらく )さしたやからをも 憤 ( いきどお )りました。 街頭 ( がいとう )へ 身 ( み )をさらし、 雪 ( ゆき )まじりの 風 ( かぜ )の 吹 ( ふ )く 中 ( なか )で、バイオリンを 弾 ( ひ )き、 悲痛 ( ひつう )の 唄 ( うた )をうたって、 道 ( みち )ゆく 人 ( ひと )の 足 ( あし )を 止 ( と )めようとしました。 けれど 畢竟 ( ひっきょう ) 自分 ( じぶん )を 慰 ( なぐさ )め、 苦痛 ( くつう )を 忘 ( わす )れさせるものには 酒以外 ( さけいがい )ないことを 知 ( し )ったが、 生 ( う )まれた 日 ( ひ )から、 今日 ( きょう )まで、 瞬時 ( しゅんじ )も 休 ( やす )まず 鼓動 ( こどう )をつづける 心臓 ( しんぞう )に 触 ( ふ )れて、 愕然 ( がくぜん )として、 彼 ( かれ )は、 真 ( しん )に 自身 ( じしん )をあわれむ 気 ( き )が 起 ( お )こったのでした。 ほんとうに、ブルジョアに 隷属 ( れいぞく )する 彼 ( かれ )らが、よどんだ 沼 ( ぬま )の 中 ( なか )につながれた 材木 ( ざいもく )であり、 縛 ( しば )ったなわもろとも、いつか 腐 ( くさ )る 運命 ( うんめい )にあるなら、 彼 ( かれ )は、さながら 激流 ( げきりゅう )の 彼方 ( かなた )の 岸 ( きし )、 此方 ( こなた )の 岩角 ( いわかど )と 衝突 ( しょうとつ )しながら、 漂 ( ただよ )いいくいかだのごときもので、 時代 ( じだい )の 犠牲 ( ぎせい )たることに 異 ( ちが )いがなかったのです。 ある 日 ( ひ )、 彼 ( かれ )は、 若 ( わか )い 時分 ( じぶん )、 下宿 ( げしゅく )していたことのある 所 ( ところ )を 通 ( とお )りました。 橋 ( はし )の 畔 ( たもと )にあった 食堂 ( しょくどう )は、もうそこになかった。 あのころの 娘 ( むすめ )は、すべてお 嫁 ( よめ )にいき、 母親 ( ははおや )となって、 生 ( う )まれた 子供 ( こども )も、 大 ( おお )きくなったであろう。 それだけでなく、あのころの 男 ( おとこ )の 子 ( こ )は、 兵隊 ( へいたい )にいき、なかには、すでに 戦死 ( せんし )したものもあるであろう。 こう 考 ( かんが )えると、 彼 ( かれ )は、 歩 ( ある )きながら 感慨無量 ( かんがいむりょう )なのでした。 記憶 ( きおく )に 残 ( のこ )る 床屋 ( とこや )があったので 入 ( はい )りました。 もちろん 主人 ( しゅじん )もちがっていれば、 内部 ( ないぶ )のようすも 変 ( か )わっていました。 それよりも 驚 ( おどろ )いたのは、 鏡 ( かがみ )に 映 ( うつ )った 自分 ( じぶん )の 姿 ( すがた )でありました。 頭髪 ( とうはつ )は、 半分 ( はんぶん ) 白 ( しろ )く、 顔 ( かお )には 小 ( こ )じわが 寄 ( よ )って、 当年 ( とうねん )の 若々 ( わかわか )しさが、まったく 消 ( き )え 失 ( う )せてしまったことです。 ふたたび、 路上 ( ろじょう )へ 出 ( で )ると、 風 ( かぜ )が、 耳 ( みみ )もとで、「みんな 流 ( なが )れのごとく 去 ( さ )ってしまった。 」と、ささやきました。 彼 ( かれ )は 頼 ( たよ )りなく、さびしく、 独 ( ひと )りうなずいたのでした。 丘 ( おか )へ 上 ( あ )がると、 春 ( はる )のころは、 新緑 ( しんりょく )が 夢見 ( ゆめみ )るように 煙 ( けむ )った、たくさんの 木立 ( こだち )は、いつのまにかきられて、わずかしか 残 ( のこ )っていなかった。 足 ( あし )もとには、 小 ( ちい )さな 家屋 ( かおく )がたてこんで、 物干 ( ものほ )しの 洗濯物 ( せんたくもの )が、 夏空 ( なつぞら )の 下 ( した )で、 風 ( かぜ )にひるがえり、すこしばかりの 空 ( あ )き 地 ( ち )で、 子供 ( こども )が、 鬼 ( おに )ごっこをして 遊 ( あそ )んでいました。 一人 ( ひとり )ハーモニカを 持 ( も )った、 男 ( おとこ )の 子 ( こ )がいました。 その 子 ( こ )は、 鬼 ( おに )ごっこに 加 ( くわ )わらず、ぼんやり 立 ( た )っていたので、 彼 ( かれ )は、そばへいき、ハーモニカを 借 ( か )りて、いまなお 子供 ( こども )たちに 親 ( した )しまれる、ちょうちょう、ちょうちょう、 菜 ( な )の 花 ( はな )にとまれを 吹 ( ふ )いて、 聞 ( き )かせたのです。 すると、 子供 ( こども )たちは、 鬼 ( おに )ごっこをやめて、 「おじさんは、うまいんだなあ。 」と、たちまち 彼 ( かれ )を 取 ( と )り 巻 ( ま )きました。 いま 子供 ( こども )らの 目 ( め )は、いずれも 遠 ( とお )い、 美 ( うつく )しいものを 憧 ( あこが )れているのです。 彼 ( かれ )は、その 姿 ( すがた )のうちに、 少年時代 ( しょうねんじだい )の 自分 ( じぶん )を 見 ( み )いだしました。 そして、あの、なつかしい 親類 ( しんるい )のおじさんを。 「おじさんは、どこからきたの?」と、 子供 ( こども )が、ききました。 「あっちから、 君 ( きみ )たちとお 友 ( とも )だちになりにきたのだよ。 」と、 彼 ( かれ )は、 答 ( こた )えました。 「ほんとう、ここは 涼 ( すず )しいよ。 そんなら、 明日 ( あした )から、 木 ( き )の 下 ( した )で、おもしろいお 話 ( はなし )をしてくれたり、ハーモニカを 吹 ( ふ )いて 聞 ( き )かしておくれよ。 」 「いいとも。 」 このとき、 風 ( かぜ )は、 頭 ( あたま )の 上 ( うえ )で、さわやかにささやきました。 「 明日 ( あした )から、いいことがある。 」 彼 ( かれ )の 胸 ( むね )に、かすかながら、ふたたび 希望 ( きぼう )がよみがえったのであります。

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「風が吹」に関連した英語例文の一覧と使い方(6ページ目)

風 に 吹 かれ て も

メールが使えなくなり、もちろんネットも使えなくなった。 5年目のパソコンである。 もはやだめだと思い、ヨドバシカメラへ持ち込んだ。 「新しいパソコンにデータを移し替えますので、新しいパソコンを買ってきてください!」と。 その場で新しいパソコンを買い、持ち込んだ。 「移し替えるのに1週間かかります!」と。 それから訪問サポートに来てもらい、やっと7月6日に使えるようになった。 13日間は、まったくパソコンが使えなかった。 いろいろな人に迷惑をかけたことになる。 考えてみると、やはりSNSの生活にどっぷりと浸かっているのである。 これがないと、身動きできないほどになっている。 考え込む。 専門家は、すでに第2波が来ていると言い始めている。 政府や小池知事などは、検査数が増えているから、感染者が増えているとさかんに言い始めている。 もはや、どんなに感染者が増えても、緊急事態宣言は出せないという理由づけなのであろう。 人数も少なくなっていたのである。 私のこれからのコロナについては、多く増えることはないが、じわじわと引き続いていくと予測した(ブログにも書いている)。 素人の予測であるので「当たるも八卦当たらぬも八卦」の予測である。 その理由は、日本の場合、PCR検査の数があまりにも少なく、無症状の人たちの検査はもちろんしないし、少し具合が悪いという人でも検査ができないという現状で、その人たちが周りに感染を広げていくはずだというものであった。 この予測がみごとに当たったのではないか。 どうだろうか。 確かに検査数は格段に増えている。 しかし、「どこでも、だれでも、何度でも、無料で」という体制にはとてもなっていない。 完全に押さえ込んだ台湾、ニュージーランドなどの試みは徹底していたのである。 東京が増えている。 周りの都市圏も増えている。 やはり、感染者が広がっている。 それは、無症状の感染者が、周りに広げているのははっきりしている。 夏の暑さがコロナを弱めると言われていたが、今のところまったく関係がない。 これからどうなるのだろうか。 今までは、飛沫感染、接触感染を言っていたのに、最近は空気感染もありという報道がなされている。 そうすると、イベントなどの開始は、とんでもないということではないだろうか。 料理を生業にしている自分でも、仕事をしながらひとりで三食きっちり作るのはしんどいです。 」 土井善晴さんとコウケンテツさんとの対談である(文藝春秋11月号「『一汁一菜』のススメ)。 コウケンテツさんが冒頭の話をしている。 やはり、そうなんだなと思ってしまう。 コロナ禍で、仕事がテレワークになり、家に夫婦、子供たちが全部いるようになり、奥さんが3食全部つくるようになり、悲鳴を上げているという報道がなされていたわけである。 料理家でもできないと言っているのだから、当たり前のことである。 土井善晴さんは、一汁一菜のススメを『一汁一菜でよいという提案』(グラフフイック社)でされている。 要するに、「味噌汁・ご飯」なのである。 「一汁三菜だとか、一日三十品目が理想だとか言われてきたけど、本当にそれが必要か?と。 まずご飯炊いて、お味噌汁作って、あとは自分の食べたいもの、季節のものがちょっとあればええんちゃうの、ということなんです。 」 「日本人って結構、固定観念というか、手かせ足かせというか、食べるということにタガをはめられている。 まずはそのタガを外すこと。 何を食べるか、ということにとらわれないで、自由に考えて、今あるもんを食べるということ。 なかったら食べんでもいい、くらい、気楽に考えてもらいたい。 」 私は、土井さんがこの本を出される前から、「味噌汁・ご飯」授業を提唱している。 料理と授業とは同じようなところがある。 土井さんの言われることは、頷くことばかりである。 教師だって、小学校の場合、毎日5食(5時間)、6食(6時間)も授業をしているわけである。 料理家だって、毎日3食作るのは無理だと言っている。 教師だって、毎日5,6食つくるのは無理なはずである。 でも、それは仕事だからやっているだけで、実態は、すかすかの状態になっているのは明らか。 日常授業が埋草みたいになっているし、雑務化になっているはずである。 でも、それは教師たちに責任があるわけではない。 現状が、そうぜざるをえないほどに逼迫しているから。 やることが多すぎるのである。 かつて杉並区立和田中学校の民間人校長を務めた藤原和博さんが、こう述べたことがあった。 」 藤原さんが指摘したころ(2013年)よりも、いまではやることが増えています。 小学校では外国語教育の拡大、小中高でのプログラミング教育の必修などが、その典型例です。 こんな中で、教師は、5食、6食の授業を毎日やっている。 うまくやれるわけはないではないか。 でも、教師はどこかで「ごちそう授業」主義の固定観念のタガにはめ込まれていて、考えていることと実態が大きくかけはなれている。 私が言う「ごちそう授業」主義とは、「教材研究をすればもっと良い授業がつくれる」「毎日おもしろい、楽しい授業をしたい」などの観念である。 現実は、決してそんなことはできないのだが、多くの先生たちは、そんな観念をもっている。 授業も土井さんみたいに「一汁・一菜」でいいという発想をしなくては、この実態から抜け出ることはできないと、私は考えている。 どうだろうか。 親しい先生から初任者のことで電話相談を受けた。 今、その先生は学年主任をされている。 内容を付け加えて、再現してみよう。 主(私)久しぶりですね。 元気ですか。 客(相談者)元気でやっています。 今日は、学年の初任者のことで相談があ って電話しました。 今、1年生の担任をしていて、1年生は3クラスあります。 そのうちの1 クラスが初任の女性のクラスです。 大学出て初めて担任をされていて、と ても真面目です。 真面目すぎるぐらいの先生です。 ところが、その先生のクラスが、荒れていて、大変なんです。 私は今まで初任者指導の先生や初任者指導担当の先生に遠慮して、そんな に関わっていなかったのですが、どんどん悪くなっていて、ちょっと心配 で相談させてもらいました。 主 今、どんな様子でしょうか。 客 4人の男の子たちが、落ち着かなくて、うろうろしたり、おしゃべりを したりしています。 この前は、板書している初任の先生の後ろで、そのま ねをしてふざけていました。 もうクラス全体が落ち着かないです。 主 困りましたね。 見ている段階は過ぎていますよ。 初任の先生は、もう退職する一歩手前じゃないでしょうか。 どうしていいかわからない段階です。 もっと先生が入り込んでいかなきゃどうにもなりません。 客 そうですね。 やっと給食が始まって、それも大変なことになっている状態です。 主 今回は、分散登校という変則的な形で始まって、初任の先生たちにとっては大変なことでした。 それに加えて、管理職から「授業をやれ、授業 をやれ」と言われて、そうせざるを得なかったはずです。 このことがさらに危険な事態を招いているはずです。 学級をつくらないままに、授業、授業と突っ込んでいったのですから。 客 そうです、そうです。 もう一人の初任の先生がいますが、その先生も学級はうまくいっていないみたいです。 主 そうでしょう。 日本全国の初任者が、とても危険な状態になっていると恐れているんですよ。 客 これからどういう指導をしていったらいいですか? 主 もっと先生が関わった方がいいですよ。 そして、すぐに校長にとても危険だということを伝えて、補助の先生をつけなくてはならないです。 その4人のやんちゃな子の面倒を見てくれる先生です。 客 児童専任の先生がおられますから、その先生にお願いするということですね。 主 もう初任の先生は、4人もうろうろしているのですから、対応できません。 その子たちをその専任の先生に任せて、他の子供たちに授業をして いくという形をとらなければなりません。 客 早速月曜日に校長先生に頼みます。 その初任の先生には、どのような指導がいいのでしょうか。 主 もうそんな事態になっているのですから、大変です。 でも、6月からの分散登校から1ヶ月がやっと過ぎている頃ですね。 何がだめで、そんなクラスになっているかというと、子供たちとの「関係づくり」に失敗しているのですよ。 多分、「仲良し友達先生」で関係を結んでいったのではないでしょうか。 客 私は、関係づくりで縦糸と横糸のことを話したのですが、それがうまくとれていなかったのですね。 主 多分、「縦糸を張る」という概念がなければ、それはできません。 今から教えることは、黄色の本『初任者指導の教科書』(明治図書)のp12,13に書いたことですが、それを見てくださいね。 指示ー確認ーフォローです。 指示ー確認が「縦糸を張る」ことで、「フォロー」が「横糸を張る」ことなのですが、これを教えなくてはなりません。 客 それですね。 わかりました。 主 知り合いの初任者指導をしている先生によれば、指示ー確認はすぐにできるようになるが、フォローがむずかしいと言われていました。 フォローは認めたり、褒めたりすることですから、フォローの言葉がなければすぐに出てこないのです。 だから、最初は指示ー確認から始めるべきです。 客 それはどういうことですか。 主 子供たちとの関係づくりのほとんどは、教師の「言葉」なのです。 初任の先生は、この言葉で失敗しています。 だから、原則に立ち返って、まず子供たちに指示を出したら、できているかどうか確認をする。 ほとんどの教師の指示言葉が、言葉の中心ですから、まずこれからです。 客 他にありますか。 主 スピード・テンポです。 クラスが荒れてくると、クラスにスピード感がなくなります。 必ずです。 そうすると、ゲームなどでスピード感に浸されている子供たちは、それを不快に思うわけです。 無意識に体がそう反応します。 不快に感じたら、だらだら、まったりしたりするのですよ。 客 そう、そう、そうなっています。 何でも遅くなっていて、もたもたしています。 主 一番だめなことは、「空白の時間」をいっぱいつくることです。 もめごとがあったり、叱ったりしていたら、それで空白の時間ができてしまいます。 これをつくらないで、すっ~~と進めていくことを心がけることです。 客 わかりました。 指導します。 他に4人の子供たちへの指導については、どのようにしたらいいでしょうか。 先日、1人のやんちゃが泣いていて、先生はちっとも僕のことを聞いてくれないと言っていました。 私が、その4人に注意したら、「はい、はい」ってとぼけたように生意気に言うのですよ。 主 もう関係がだめになっていますから、そうなっています。 彼らとの対応は、「ど」のつく言葉、「そ」のつく言葉での対応がいいです。 最初は、「どうしたの?」「どうですか?」などで言葉かけ、そして「うるせ~」「めんどくせ~」などの言葉がとんできたら、「そうなの!」「そう、そう」などの言葉で対応するわけです。 どちらも、不安を受け入れる、事実を認めていく言葉ですから、反発が返ってきません。 その言葉で対応しながら、包み込んでいけばいいわけです。 私は「包み込み話法」と言っています。 客 ありがとうございました。 早速、月曜日から指導します。 また、経過を報告しますから。 このような対応になった。 やはり、日本全国の初任の先生のことを思う。 普通でも大変なのに、今年は変則的なことで始まっている。 それでのリスクは大きいはずである。 あ夏休みまでの時間をなんとかしなくてはならない。 初任の先生に必要なのは、そばで支えてくる先生がいるかどうかなのである。 ぜひ周りの先生たち、がんばってほしいと願うばかりである。 パソコンが故障して、結局パソコンを替えなくてはならず、13日間もパソコンが使えない状態が続きました。 やっとなんとかなりました。 山中先生の続編も中途になっていました。 再開します。 すぐに連絡が返ってきた。 このような授業をつくられたきっかけが書かれていた。 「教職15年ぐらいで荒れた学校に勤務していた時に、授業を大きく変えなければだめだと実感しました。 まずは、生徒を授業中イスに座らせるためにはどうすればいいかを考えました。 生徒を全員参加させるためにはどうすればいいかを考えました。 」 そこで考え出されたことは次のこと。 「1 楽しくしたら、まずは授業に参加するだろう 2 50分間は無理なので、10分間ぐらいは集中するだろう 3 やんちゃな生徒も実はほめられたいのではないか 4 やんちゃな生徒も認められたいのではないか 5 ほめることと認めることを見える化するためにはどうすればいいか 6 ほめられたことを見える化して、それがどんどんたまっていけば うれしいのではないか 7 じっと座っていないのであれば、短い時間だけでも活動を取り入れ たらいいんじゃないか 」 毎時間楽しくするという課題は、小学校の教師にとってはむずかしいことである。 中学校の先生は、1教科を教えればいいので、教材研究ができれば この工夫ができる。 「ほめる」「認める」の見える化はおもしろい。 やんちゃな生徒でも、ほめられたい、認められたいというのは当たり前のことである。 活動を入れるというのも、「味噌汁・ご飯」授業と合致する。 1 説明を面白く分かりやすくなるようにした。 2 教科書を使って探す、考えさせるような全員ができる課題を出すよ うに した。 3 50分間の中で、1回は逆転現象が起きるような発問をした。 社会 的な思考を促す発問。 どうなると思う、どうしてかな、なぜだろうなど。 註(野中) これはレベルが高い技量である。 若い先生たちは、この技量を 最初は持てない。 それでも、「教科書を使って探す、考えさせる課題」というのは いい。 さまざまな資料を使って課題を考えさせるようにすると、 学習遅進児は、ついていけない。 4 10分間に1回課題を出して、机間巡視をしながら生徒がノートに書い た答え をチェックしていく、その時に、一人一人にシールをあげる。 5 このシールは色分けをして、社会科の評価の4観点とリンクしている。 6 社会的思考の問題は、金シールや銀シールなど評価を差別化している。 こうす ることで、勉強が苦手な生徒でも金シールをもらえるチャンスが生 まれる。 7 生徒はもらったシールを自分もシールカードに張り替えていく。 8 宿題は、だれでもいつでもできる課題をプリントにしていく。 9 家庭学習は、授業中に疑問を投げかけて調べ学習のヒントを与えている。 最近では、「日本語を公用語として使っているパラオという国について調 べよ う」 10 全員が参加できるように、社会科クイズを必ずする。 「解体新書」を何年 かか って書き上げたでしょうか。 A 2年 B 4年 C 6年 など3択 です。 11 宿題も自学ノートも提出すれば、シールをもらえる。 努力によって金シ ールが 何枚ももらえる。 12 このシールカードを評価の材料にしている。 註 これが「ほめる」「認める」の見える化である。 このために、色分けのシールを使われている。 ここが工夫されていることになる。 「シールで生徒をつっている」「ごほうびをあげて生徒を引き付けるのはよく ない」などの批判を受けたこともあり、そんな先生には、次のような質問をし てきたということである。 「先生の社会科授業では、生徒は全員参加しているのですよね」「その方法を 具体的に教えてください」と。 具体的な授業を提案されている。 そのための批判をするためには、代わり に具体的な授業を提案しなければならない。 それが現場で生きるということ で ある。 教育にとって、ベストの方法はない。 つねに、ベターの方法である。 目の前の生徒、しかも荒れている生徒たちを含めて全員参加させるために は、どのような方法があるのか、その課題に対して考え出された方法である。 13 課題が難しければ、3 分程度の交流をさせて仲間から教えてもらう時間 を設ける。 14 ノートは左側にプリントを貼り、右側には板書をうつさせている。 15 教科書中心の授業づくりだが、短い動画資料や写真資料を使う。 16 フリータイムという自分の考えをどんどん言わせる時間を設けている。 3 分程度。 17 地名探しや色塗りなど誰でもできる課題を出す。 18 プリントは、授業中は「ステップ1 」だけをやり、余裕がある生徒は「ス テッ プ2」「3」「4」と進める。 19 定期テストも教科書とノートと学習プリントからしか出題しない。 こう する ことでテスト勉強がしやすくなる。 20 1つの単元が終わると、「3問テスト」をする。 前時の学習用語を確認 する テストである。 私が問題を読み上げて、生徒はノートの上のほうに 答えを3つ書 く。 出題する前に「ダウトカード」をやっている。 5 ~6 枚程度のカードに学習用 語を書いている。 そのカードを見せながら読み 上げさせる。 中にはわざと間違っ たカードが入っているので、その時は、 生徒は「ダウト」と叫ぶ。 まあ、フラッシュ カードみたいなもの。 導入 を楽しくする、授業にテンポをつくる工夫。 註 さまざまな工夫がなされている。 全てが全員参加のための工夫である。 それに小刻みに課題が提出されていくので、生徒たちにとっては暇な 時間がないわけである。 定期テストが、教科書とノートと学習プリントから出されるというのもとて も分かりやすいことである。 教科書をマスターしていれば1 0 0 点ということ である。 「教えられたこと」から出題されるわけであるから、生徒たちは何を勉強す ればいいかが分かるということになる。 ここで山中先生の授業を、特に紹介したいと思ったのはわけがある。 1 中学校の社会科の先生なのである。 不遜な言い方だが、私が抱いていた中学校の先生たちに対する思いは、 「授業」にそんなに比重をかけられていないのではないかということ。 (そうではない先生たちもいっぱいいるのだが) 部活や行事などへの比重が多いのではないかと思っていたわけである。 ところが、山中先生は、荒れた学校での経験から、このような授業を 生み出され ている。 2 小学校で、荒れた学校経験をしている先生たちはいっぱいいるのだが、 「子 供が大変だ!」「親が大変だ!」と愚痴が並べられる。 それはいい。 だが、1時間 から6時間まである授業をどう変えていくかが工夫されて いるのかということに なる。 確かに教材研究の時間は、中学校よりもない。 でも、世界で一番労働時間が多い、日本の中学校の先生がこうした工 夫をされているというのは注目に値するはずである。 3 私が最初に注目したのは、繰り返しになるが、「味噌汁・ご飯」授業 と実践が似ていることであった。 どこが似ているのか。 結局、「日常授業」をどのように改善していくかとなると、こうなっていくはずである。 その具体化が示されている。 「えっ、これは『味噌汁・ご飯』授業が目指してきた授業じゃないか!」 というのが最初の感想。 長崎の山中太先生のFB(フェイスブック)である。 中学校の社会科の先生である。 知り合いである。 一度、福岡で講座をもったときに長崎から駆けつけてこられて、お会いしたことがある。 こんな授業を示されている。 勉強が苦手な生徒も楽しく参加できるような工夫を取り入れています。 例えばこんなことです。 (知識よりも発想力,想像力を評価します。 社会科の授業が終わる頃,「えっ,もう終わり?」という声が聞こえてきます。 ゲームに慣れきっている生徒を授業に乗せるために,いろいろな工夫が必要だと思います。 とにかく50分間だまってイスに座らせ,じっと教師の説明を聞かせ,ひたすらドリルを解かせるなんて授業をしている教師は,まだいるのでしょうか。 別のところで、初任者に見せた授業の内容を公開されている。 モンゴルのステッでの暮らしを学ぶというものです。 いくつもの小さな課題に取り組ませ,その都度,個々の生徒をフォローしていくのが,私の授業の流れです。 意識していることは,テンポです。 テンポ授業を進めて生徒をのせてしまうのです。 初任者の感想です。 「疾走感があるのに,すべての生徒が授業についてきているのに驚きました。 」 さあ,この後,この初任者がどう動くか楽しみです。 これが、具体的に、こうして、しかも中学校の授業で実現されている。 何とも感激する提案である。 (つづき) 「漢字テストの結果が悲惨です」 「味噌汁・ご飯」授業研究会の秦安彦先生からのFB(フェイスブック)である。 研究会のメンバーに聞き取りをしたところ。 複数の学校で、つぎのようにカリキュラム・マネジメントをすることがわかりました。 できれば4月分からやり直す。 非常に先進的な取り組みをしている学校の先生からも次のような報告がありました。 分散登校中 学年代表が「これは売り物になるレベル」と絶賛したワークシートが完成したのでそれを家庭学習の課題として使用したそう。 課題の提出も徹底させ、もれなく確認したとのこと。 なのに、テストをしたところ、「やはり、学校の、授業は大切だった」と再確認しているとのことです。 家庭で学ばせているから、そこは削っても大丈夫・・・とはならないことに十分留意する必要があるということです。 そこだけ新幹線授業は危険だということです。 初任者からは、特に「漢字テストの結果が悲惨です」との報告が複数寄せられました。 ワークシート学習やオンライン学習が、実際のテストではふるわなかったという結果である。 また、「漢字テストの結果が悲惨です」という結果。 これは何であろうか。 「ドイツの心理学者、エビングハウスが行った記憶実験によると、記憶した20分後には42%を忘れ、1時間後には56%を忘れ、1日後には74%を忘れることが明らかにされました。 記憶というのは、時間とともに猛烈なスピードで忘却されていくのです。 これを防ぐ方法が『復習』です。 」(『覚えない記憶術』樺沢紫苑著サンマーク出版) 有名な記憶実験である。 これによれば、今日勉強したことは、次の日には74%も忘れるということである。 それを防いでいくのは、「復習」しかないというのである。 「だいたいの目安としては、情報の入力から2週間で3回のアウトプットをすると、長期記憶として残りやすくなるといいます。 ただ、「漢字テストが悲惨」というのは理由が、はっきりしている。 子供たちは、ワークで「インプット学習」をしたのである。 これだけでは漢字は覚えない。 「アウトプット学習」をちょこちょこと加えないとダメだ。 漢字の場合、アウトプット学習とは、テストのことである。 インプットしたことを覚えたかどうかの確認(テスト)をしなければ覚えたことにならない。 今、算数の共同研究をやっているが、「算数学力向上メソッド」を使って授業ー宿題ー復習テストというシステムを駆使しての研究である。 その場合、必ず授業の最初に5分間だけ復習テストを行う。 この復習テストは、昨日の授業の練習問題そのまま。 3分で行うようになっている。 昨日学習したことを思い出させて、そこから今日の授業に入って行くのである。 算数は系統性が重視されるので、絶対にこれが必要になる。 昨日学習したのは、今日は、もう74%忘れられていると考えねばならないからである。 私もクラス担任の時に、手ひどい結果を経験している。 昨日の算数の授業で、全体にノートをもってこさせて、ひとり一人マルをつけた。 ちょっとむずかしい課題だったので、丁寧にやったのである。 ところが、たまたま昨日の練習問題を解かせてみたことがあった。 結果は、半分しかできなかった。 愕然とした。 「あれほど丁寧に、ひとり一人確認したのに、どうしたことか!」と。 この経験からむずかしい課題のときは、何度か昨日の練習問題を出してみた。 やはり5,6割しかできなかった。 エビングハウスの記憶実験によれば当然のことだが、この時には、このことを知らなかったのである。 それ以来、授業の最初には、必ず5分の復習テストをすることにしたのである。 ワークシート学習やオンライン学習の場合でも、この学習を途中途中でチェック・確認するところがなければ、その学習は生きてこないはずである。 インプットだけの学習になってしまう。 ここが抜け落ちている場合が多いのだ。 校内指導は拠点校指導員の努力で何とかカウントは増やせていますが,初任者が一堂に会しての研修会が1回も実施されていません。 教育センターからDVDとレジュメが送られてきて,視聴しながらまとめていくという何とも悲しい研修になっています。 「3密」を回避するための方策であることはわかりますが,これではあまりにも初任者がかわいそうです。 同じ悩みをもつ教師どうしが顔を見ながら話をすることで,悩みが軽減する可能性もあるのです。 そこからつながりが生まれることもあるのです。 学びのスイッチが入る場合もあるのです。 まずは,人数を減らしてでも初任者が顔を合わせる場をつくってほしいと思います。 私が今年度行うことになっていた初任者研修は、1つを除いてみんな中止になった。 7月に行う初任者研修は、担当する指導主事の先生から「何とかしたい!」という連絡があった。 それもどうなるか分からない。 授業、授業と詰め込んでいる。 もちろん、学校の方針である。 校長の指示により、単元の遅れを何とか解消しようと詰め込んでいるわけである。 子供たちの思いはそっちのけ。 「荷物を届けにきましたが、お留守だったので持ち帰りました。 確認してください。 」と書かれていた。 荷物が届くことになっていたので、すぐに返信した。 「今はいます。 よろしくお願いします。 女房から「これっておかしいよ!」と言われた。 そう言えば、ずっと家にいたのである。 スマホに、こんな不在メールが届くことは今まではあり得ない。 普通相手からの荷物には、固定電話が書かれているはずである。 おかしい! それ以来、何の連絡もなかった。 娘からは、それは「なりすまし詐欺だよ!」と連絡がきた。 ヤマト運輸のショートメールに多発していることが書かれている。 「やられた!」というところである。 皆さんも、気をつけてください! 「シゴトのヒント365」(神田昌典) に次のようなことが載っていた。 「問題の本質的な答えは、目に見えるところではなく、 誰も注目しない「裏」だったり、 「間」だったり、または「ゴミ箱」の中などに 隠されています。 片っ端から写真を撮って、 あとから写真の中に答えを探してみると、 ほぼ確実に、とんでもない宝物が発見できます。 家の中を歩くのだが、その歩いているときに、暇なので、暗唱をすることにしている。 ながら族なので、何かをしながら、そのことをやる。 最初は、滑舌などを行っていたのだが、最近は、「外郎売り」を覚えている。 これは、有名なたたき売りの言葉で、最近は、海老蔵の息子の舞台のデビューは、この「外郎売り」だとテレビで言っていた。 私はネットで調べて、手に入れたのだが、A44枚びっしりである。 これを歩きながら、覚えるのである。 これは老人でも覚えられるのかなと最初思ったものだが、できるのである。 調子が良いので、すらすらと覚えられる。 最近は、全部言えるようになっている。 すらすらと出てくる。 それでも、1年間かかったのだが…。 毎日ちょこちょこと少しずつ覚えたわけであるから。 「拙者親方と申すは、……」から始まり、「…ホホ敬って、ういろうは、いらっしゃりませぬか。 」で終わる。 今日も、今言い終えたばかり。 老化は、確実に声から始まる。 認知症予防と老化防止のための、ささやかな抵抗である(笑)。 この問題は、さまざまなメディアに取り上げられている。 私も、いくらか冷静に花さんの問題について考えられるようになった。 確実に分かるのは、22歳の花さんが、この中傷ツイートに耐えられなかったということである。 例えば、今小学生のほとんどが、ユーチューブに熱心だと聞いている。 だから、将来の夢は、「ユーチューバーになること」という子供たちが増えているらしい。 今の若者たちが、いかに「人からどう見られているか」「人にどう見られたいか」「人とどう付き合うか」という世界だけで生きているかがよく分かる現象である。 これは、辛い世界だ。 こんな辛い世界で、毎日100通も越える中傷ツイートで攻められたら、ひとたまりもないのではないか、と。 「皆さんにお願いがあります」「どうか花のことでご自分を責めないでください。 他の誰かを責めないでください。 なにかを恨まないでください。 ヘイトのスパイラルを止めてください。 」「もうこれ以上こんなことが起こらないように 花が望んだやさしい世界に少しでも近づけるように」と。 K(私たちはキムコと呼んでいた)は、連絡が取れない花さんのマンションに最初に駆けつけて、亡くなっている花さんを見つけている。 救急車が駆けつけてきたときには、花さんのそばで泣き崩れているKがいたと報道は伝えている。 その様子に、冷静ではいられなかった。 人を許すことは、人にとって一番むずかしいことである。 Kは、それをやっている。 ある哲学者は、言っている。 「その人の人生はその人の口から出た言葉の方向に進む」と。 こうして人を否定する言葉ばかりを連ねて中傷していると、その人の人生は、自らそうなっていくのである。 もうなっているのかもしれないのだが…。 学校を訪問して、先生たちの授業を見せてもらうときにマスクをして授業をしている先生がおられることがよくある。 冬の時期に、風邪をひいている場合は仕方がない。 でも、そういう場合でなくてもしている先生がおられる。 そんな場合があるので、直接本人か校長に伝えている。 「マスクをしょっちゅうしている場合は、教師の表情が子供たちに見えないので、これは大変困ります。 教師の場合は、この表情で伝えることはとても大切になりますので…」 これがどれほど伝わるのか、ちょっと心配である。 担任の場合、子供たちと「関係」をつくるには「言葉」と「表情」しかないのである。 とくに、担任の、「上機嫌な表情」を見せられたら、それだけで子供たちは安心の心持ちになる。 その表情の一つひとつに、子供たちは敏感である。 だが、その表情がマスクによって読み取れない。 子供たちはどうなるのか。 間違いなく、警戒感が起こる。 先生が今どんな顔をしているのか読み取れないのだから、こちらは身構える以外になくなるはずである。 全部の先生たちが、マスクをして子供たちに対しているはずである。 今、マスクをしないという選択肢はありえない。 だが、そのマスクが、どれほど久しぶりに会った子供たちに警戒感を起こさせているかを考えられているのだろうか。 今、やらなければならないのは、子供たちとの「関係づくり」なのである。 繰り返しになるが、「関係づくり」では、「言葉」と「表情」しかないのである。 この「表情」をマスクによって完全に断たれているわけである。 あとは、「言葉」だけ。 前回のブログで伝えた通りである。 親しい知り合いの先生のクラス(5年生)では、持ち上がりにもかかわらず「暗くなんだかよそよそしい」という感じになっているということ。 昨年受け持っている、特別支援を要するN君は、昨年できていたことが、全くできなくなっていて、目も合わせられない上に、情緒も不安定になっていた、というのである。 このN君は、昨年算数で格段の力をつけ、テストでは90点、100点を何度もとって、絶好調という状態だったはずなのである。 それが、この3ヶ月の休校の間に、大きく変わっている。 振り出しに戻ったという感じ。 ここから始まっているという認識を、先生たちは強くもつ必要がある。 それを受けて、先生たちも、授業、授業と迫っている。 これで大きく失敗する。 校長先生たちの中には、先生たちに「ゆっくり」というテーマを伝えている方もいる。 見識がある。 先生たちは普通でも授業の遅れにあせっているはずである。 それを見越して、「あわてるな、ゆっくりでいい」と伝えているわけである。 単元の遅れなどどうにでもなる(笑)。 そんなことより、今は「関係づくり」をどうしていくかなのである。 教室を「安心できる」場所にするために、まず「頼りがいのある担任であること」を伝えなくてはならない。 そのために、マスクのリスクを回復するには、「言葉」と「活動」をどう工夫するかなのである。 絶対に「授業、授業」をやってはいけない。 先に上げた先生は、授業を進めることをやめ、分散登校で離ればなれになっているチームがお互いに関われるようにメッセージ交流をしたり、心をほぐせるように毎日ゲームをしたりしながら、取り組んでいる。 マイナスを改善できたのかなと、先生は語っておられる。 こういう工夫を今やるべきことである。 学校が再開して分散登校になっている。 子供たちがどんな様子か聞いてみると、子供たちが冷めているということらしい。 中でも6年生がめっちゃ冷めている、と。 まず、声が出ない。 休み時間はいいが、授業では大変らしい。 校長からどんどん授業を進めないと、と言われていて、進めるのに必死だが、子供たちが全然乗ってこない状況らしい。 私が予想していた通りになっている。 多賀一郎先生が、FBで次のようなことを書かれていた。 という声を分散登校の始まった学校から よく聞く。 そりゃあ、今は、この自粛ムードの中で 緊張して登校しているから。 いろいろと規制がかかり、 自由に伸び伸びとした活動ができないから。 抑制していることがたくさんあるから。 こんなの、長く続くわけがない。 反応が薄かったという声も聞く。 どうしていいのか分からないんだろうね。 子どもが子どもらしくないってことだ。 これは、きっと、次第に崩れてきて 収拾つかなくなることが出てくるよ。 抑圧されたものは、 必ず反動として表に出てくるから。 それを見据えての学級づくりを 考えなければならない。 今は、一人一人の子どもの真の思いに どれだけつきあえるか が、大切。 学級っていいなあという 楽しさと連帯感を持たせることが必要。 一ヶ月先、二ヶ月先を見据えての 今なのだ。 長く自宅で自粛してきたのである。 子供たちは、さまざまな規制と抑制が重なって、自分をどう表現していいか分からないのである。 こんなときは、反応がないし、声が出ない。 当たり前である。 こんなとき、校長から言われた通り、授業、授業と必死になっている先生はあとで地獄を見ることになる。 多賀先生が言うとおりに、 「今は、一人一人の子どもの真の思いにどれだけつきあえるかが、大切。 学級っていいなあという楽しさと連帯感を持たせることが必要。 一ヶ月先、二ヶ月先を見据えての今なのだ。 」 子供たちに、「一人で家にいるより、みんなで過ごした方がやはり楽しいなあ!」「今度の先生もおもしろそうだし、良かった!」という思いを持たせることなのである。 それをしなければいけないのに、授業、授業とやってしまっている。 これはきちんと今やっておかなくては後で困ることになる。 これを合間合間にやっていけばいいのである。 繰り返すが、絶対に授業、授業と必死になってはいけないのである。 これをやったら絶対に失敗する。 失敗の様子が目に浮かぶ。 庭野三省先生が日本教育新聞に『初任者指導の教科書』(明治図書)の書評を書いてもらえた。 私たちの意図以上に読み込んでもらって、大きな問題提起をしてもらっている。 ありがとうございました。 だからこそ初任者の指導者だけでなく、初任者自らもこのような本を読み、学校再開後の指導に思いをはせていただきたい。 いや、この本は初任者だけに活用される本ではない。 若手、中堅、管理職も手にして、もう一度、教師の在り方について見直しを迫る高著である。 著者の一人である野中氏は、指導の先生と初任者の間に「すれちがい」が起きていると指摘する。 この「すれちがい」とは、学級づくりよりも授業づくりを優先する現状の初任者指導である。 この「すれちがい」を修正するには、おそらく国レベルで初任者研修の在り方まで修正しなければならないだろう。 だから初任者指導を担当されている文科省の関係者も読んでいただきたい一冊でもある。 「群れ」の状態から「仲間」意識のある集団に変えていくには、学級づくりの研修が欠かせない。 また、この取り組みが、今後の初等教育の命運を握っていることに思いを向けなくてはならない。 まだ休業の所やようやく再開した学校もあるだろうが、子どもたちの前で「機嫌よく振る舞える」ようにするためにも、ヒントになる情報が満載の本である。 校内研修の見直しをも求める一冊である。 (庭野 三省・新潟県十日町市教育委員会教育委員).

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