強くなって守りたい仲間がいるから。 仲間がいるからできることも増える。仲間がいるから楽しさも増える。仲間を守りたいと思うから行動ができる。

WANIMA

強くなって守りたい仲間がいるから

みなさんは、守りたいものってありますか? 豊かな生活、自由な時間、愛する人、家族、夢・・・。 すぐに浮かぶ人、すごいなぁ。 つい最近まで私、自分が守りたいものって何か分かりませんでした。 というか、今でもまだぼやっとしている。 けど、以前よりはそれの輪郭が見えてきて、ちょっと嬉しくなったので、 今日は文章にのこしてみたいと思います。 以前の私はというと、誰かの言葉にすぐ左右されていたし、 周りの評価がとても気になっていたし、 立場とか、体裁とかそういうのを結構気にしていた気がする。 そのために多少無理は厭わず、 無理をすること=充実していると 勘違いしていた時期もあったなあ。 つまり、周りの意見が私の大事なものを決めていました。 だから、いつのまにか「誰かが喜ぶ意見」=「私の望み」みたいになっていて。 だってなんとなく響きがいいもんね。 「自分を後回しにして、誰かのために頑張る」って。 でもその考えが崩れるできごとが起こった。 当時、入社して1年たった私は、超問題児の教育係を任されました。 仕事を覚えようとしない、女性社員に手当たり次第手を出す、 そのくせに社長に取り入って幹部候補になろうとする 笑 とにかくはちゃめちゃでした。 ただでさえ1年で教育係を任されるのは前例が少なく 私も余裕がない 笑 それでも根気強く教えていました。 もちろん新人さんの社内での評判はがたがた落ち。 それでも仲間なんだからってことで、 「でもいいところもあるよ」っていう風にフォローしながらやってた。 そしたらあるとき上司から 「新人さん、仕事も十分にできていないのに、残業申請を出してくる。 とにかくやめさせて。 でも私の立場から言うのはまずいから、うまくいってね」というお達し。 今ならその新人に「いいかげんにしろよ」って言うこともできるし 上司に「私を指導者から外してほしい」と言うこともできるし 「残業を出させないという強制は私にはできない」って言える。 でもその時は言えなかった。 無茶振りを、何とか丸く誰も傷つかない方向に持って行きたくて(嫌われたくなくて) 「できない」って思われたくなくて 信頼していた上司からそう言われて辛いということも認めたくなかった。 そんなこんなしていたら、 一番守りたい「我が子」を守らないといけない私が、ボロボロになってしまいました。 ボロボロになって、やっと気づいた守りたいもの。 それは「自分にとって居心地のよい空間」でした。 空間というのは物理的なものだけではなく、気持ち的な部分も含めて。 そこが守れなければ、人生はぜったい豊かなものにならないと確信できます。 そこを守るためなら断ってもいいし、怒ってもいいし、辞めてもいい。 本気で守りたいものに出会って初めて人は「強くなれる」んだと。 私はこれからも「守りたいもの」を増やしていきたいと思います。 そして「守る」練習をしていけば、自己肯定感がどんどんあがって、 「自分だけの人生」が生きれるような気がしています。 毎日こつこつと。 アンテナはって、自分の「守りたいもの」を見つけていきましょう。

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トヨタ 豊田章男社長「世の中の役に立つため、世界中の仲間と、ともに強くなりたい」

強くなって守りたい仲間がいるから

一人は気楽だけど、仲間がいるからできることも増える。 仲間がいるから楽しさも増える。 仲間を守りたいと思うから行動ができる。 だから、仲間を本気で作りたい。 それに最近気づいた携帯がなることが珍しいトミーです。 幼少期は友達が作れなかった。 僕は友達作りができなかった幼少期だった。 びっくりされるかもしれないが母親の繋がりや兄の友達と仲良くなったりしていた。 だから、 僕はその頃の思い出がほとんどない。 まれに地元で小学校の同級生に声をかけられても名前と顔が全くといっていいほどわからないことがある。 幼少期に遊んでいた友達との縁は全くない。 それが原因かはわからないが、小学校の同窓会とういうものに憧れが強く全校生徒10人くらいで全員が友達のような小さな学校がうらやましくなったりもする。 僕が四男坊の末っ子として生まれた環境も少なからなず一因していると思う。 子どものころから僕の周りには家族の誰かがいてくれた。 だから、自分から友達を作ることをしなかったのかもしれない。 遊ぶのはもっぱら兄だったりその友達だった。 高校生くらいから自分で友達をつくるようになっていくわけだが、それは兄が自立して家からいなくなっていたからかもしれない。 それと思春期を迎えてライバルをつくることで男としての価値を誇示しようとしたのかもしれない。 その頃の友達も年に1回会うくらいで頻繁に連絡をとるような仲間でもない。 それは嫌いとか合わないとかではない。 それくらいがちょうどいいのかもしれない。 慕ってた人からの絶縁宣言 僕がショックを受けた出来事があった。 それは1年前くらいに仲良くしていた人と突然絶縁状態になってしまった。 その人とはそれまで2人であったり、僕の悩みを聞いて貰えたりとどちらかと言えば僕が慕う人だった。 そんな人と突然に絶縁状態になったから最初は戸惑いしかなかった。 理由ははっきりとしたことはわからないが、感性で生きているような人で共通の知人から「波動が合わないんだよ。 」って言われたことがあった。 「波動ってなんなんだよ!」「はぁなんじゃそりゃ?!ふざゃね!」って当然のように意味不明で憤りを覚えた。 関係修復を試みたが無駄だった。 何の前触れもなく意味もわからないまま失ったことは怒りと悲しみであった。 自然農から学ぶ人間関係 その約半年後にその出来事が起きた意味を人から教わることになる。 その人からは 人間関係も自然農に当てはめると良いと言われた。 「 必要な人は必要なタイミングで出会って、必要がなくなったら自然といなくなる。 それってと一緒。 草もそのままにして、生き物たちが作る生態系ネットワークをつくる。 このネットワークがバランスを保ち、その中でスムーズに栄養素や酸素、水分などが創出、循環、蓄積されている理想の状態にする。 そうすることで、その野菜に必要な、栄養素、水分、酸素などが、適切なタイミングで適切な量を土から供給されている。 そして必要がなくなったものは朽ちて栄養となる。 自然って本当にうまくできている。 人間も一緒。 きっと古冨君が僕を必要としたからそのタイミングで僕が現れていると思うよ。 」 これはすごく納得ができた言葉だった。 これを聞いた後は「全てはタイミング」と割り切れて心が晴れた。 それにあの直後は悲しかったが、意味あって出会えて、そしていなくなったと思えたら感謝に変わっていった。 本音で言い合える仲間こそ宝だ 「出会い」とは「全てタイミング」であって、意味のないもはない。 僕はその「全ての出会い」を大事にしていきたい。 もちろん一人よりも多くの人とこれかも出会い繋がって生きたいが、惰性でつくる仲間よりも、互いを認め合うことのできる仲間を作っていきたい。 本音が言えない仲間ならいらない。 僕は「出会う」人に必要とされる「栄養素」になりたい。 最後まで読んで頂きありがとうございます。

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GONG WANIMA 歌詞情報

強くなって守りたい仲間がいるから

残り6時間となりました。 本日の23時終了ですが、その時間まで残りの時間もでき得る限りの手を尽くしてインターハイの現状や意義を発信していきます。 どうかあと少し、情報拡散やご支援等で皆様のお力を貸してください。 シドニーオリンピックではオール一本勝ちで金メダルを獲得した井上康生さんに、高校時代のインターハイ出場の話や、困難の乗り越え方、指導者としての信念など、様々な切り口からお話をお伺いしました。 ぜひご一読ください。 私は、「柔道で強くなって、日本一・世界一を目指したい」という想いを持って宮崎県から神奈川県の東海大学付属相模高校に進学しました。 小中学校でも全国大会出場経験がありましたから、自分自身が誰よりも強くなってオリンピックでメダルを取りたいという思いは確かにその頃からありました。 ただ、インターハイで活躍した選手が世界に羽ばたいていく例はたくさんありますから、そういう点では非常に意識していた部分はありました。 東海大相模では、幸運なことに1年生からインターハイに出場させていただいて、先鋒として大役を任された団体戦では優勝しました。 2年生の時には、個人戦でオール一本勝ちでの優勝でした。 しかし、3年生では個人・団体共に県大会で敗れてしまいインターハイ出場が叶わず悔しい思いをしました。 「世界一」というのが具体的に目の前にひらけたきっかけがインターハイ優勝という出来事でしたし、挫折や苦悩を味わって成長できたのもインターハイという目標に届かなかった経験があったからこそだと思います。 実際に3年生の時の悔しさは、大きな情熱と努力に繋がり、全日本ジュニア大会などでの優勝へ導きました。 本当にインターハイがあったからこそ今の自分があると思いますね。 インターハイというのは、出場することも難しいし、勝つことも難しい。 だからこそ最大限の努力を発揮することができる。 目標や夢があるからこそ全力で練習に励むことができると思います。 練習を共にする仲間、恩師、家族に支えられながら成長できるというのは他にはない大きな経験になりますよね。 私にとって、誰よりも家族が理解者であり応援者でもありました。 特に母親はビデオカメラを片手に、いろんな大会に来てくれていましたね。 インターハイ1年目が富山、2年目が神戸、他の大会でも全国どこへでも応援に駆けつけてくれました。 母親は、私が21歳の時、シドニーオリンピックで優勝する前年に亡くなりましたが、常に私の1番のサポーターでした。 高校の先生から「今までの選手たちには『やれ』という言葉は伝えていたけど、『やめろ』と伝えたことがあるのはお前が初めてだ」と言われるくらい、稽古に打ち込んでいましたね。 全体の稽古が終わっても残って練習して、夜もトレーニングに行って、周りから本当に異常なやつだと思われるくらい、高校時代は特にやり込みました。 柔道を大好きでしたし、世界の頂点に立つんだという気持ちが、 「人が一本休んでいる間に自分は一本多くやる」といったことに自分をとにかく駆り立てていました。 井上康生さんのように人一倍努力できることが最重要ですか。 様々だと思います。 とてつもなく練習をできる選手は、誰が見てもわかりやすく強くなる。 しかしその3分の1の練習量で強くなる選手もいるんですよね。 そういうタイプは洞察力や分析力などの能力に秀でていることがある。 抜群に身体能力が高い選手もいますし、逆に身体能力はないけど人の意見にも耳を傾けてそれを着々と実戦で積み上げて力にできる選手もいます。 他の競技は正直わからないですが、 柔道は持てる能力を幅広く活かして勝ち上がっていけるところが面白いと思います。 今は情報化社会で、一流の選手の戦い方が簡単に手に入りますよね。 検索すれば動画サイトですぐに出てきますから、視覚から吸収したことを先生に聴きながら実践できるので、覚えは早いと思います。 それで若い十代の選手たちも活躍できる時代になってきています。 しかし、技ばかりに頼っても、逆に力に偏っても、勝ち続けることはできません。 技術とトレーニング、質と量のバランスが重要であることを伝えています。 私が大切にしているのは3つで、1つ目が、誰よりも強くなりたい、日本一になりたいという「熱意」。 誰よりも強く自分自身を信じること。 2つ目は、困難な状況であっても、考え抜いて工夫をすることをやめない「創意」。 最後が、自分が日々練習できる環境にあることへの感謝を仲間や先生、親に対して忘れないで熱心に取り組む「誠意」。 「熱意、創意、誠意」という「三意の精神」を大事にしています。 幼い頃から三意を明文化して自分の中に持っていたわけではないのですが、「精力善用 自他共栄」の精神を重んじる柔道を通じて、自然に身についたと思います。 他に私自身が指導者として大事にしている理念が、 「最強かつ最高の選手の育成」です。 どんな相手をも打ち破り頂点に君臨できる選手であり、且つ、規律や相手を慮る心を持つことができる選手であること。 強ければ何でもいいという訳ではもちろんないです。 指導者として、柔道を通じて柔道界ひいてはスポーツの世界、さらにその先にある社会にどう貢献していくことができるかを考えています。 私の場合、大学生の時にシドニーオリンピックで金メダルをとったあと、アテネオリンピックで負けるんですよ。 またそこから4年後、北京オリンピックに出場するまでの道のりもそれまでとは違いました。 今まで勝てていた相手に勝てなくなったり、かかっていた技がかからなくなるというような苦しい状況を非常に味わいました。 日々は変化していますし、何があっても現状を受け止めるしかないかなと思います。 その上で、 自分自身の原点に戻ることは意識しました。 自分はどういう人間なのか、どんな選手になりたいのか、目指す柔道は何か。 感覚だけでは壁に当たった時の対処法は見出せないですから、そうやって意識的に紐解いて一つ一つ修正していくんです。 正直言って、インターハイで終わる子もいると思うんです。 結果に関わらず競技を続けるか否か迷う子もいる。 ただ、 目の前のことには必ず全てを出し切って、いい意味で泥臭く、青春をかけてもらいたいです。 やりきった先に、初めていろんな世界が開かれると思います。 長期的な視点を持つことも大事ですけど、未来の選択肢はその瞬間を大事にしているからこそ見えてくるものですから、それは忘れずに迷わず全力で日々戦ってもらいたいと思います。 インターハイは、各開催地が協力し、大勢のボランティアを含めた人たちが情熱を注ぎ、手作りとまでは行きませんが本当に一人一人がたくさんの汗をかいて運営してくれている有難さがありますよね。 規模が違うかもしれませんけど、来年の東京オリンピックと同じような感覚を毎年味わえるというのは、高校生たちが競技者としても人間としても、大きく成長できたりいろんな学びや気づきが生まれたりする大会だと感じています。 行政や大きな組織だけに頼るのではなくて、民間というか一人一人と一緒につくれる環境というのは必要だと思いますね。 負担が偏ってしまうとどんどん開催地域が手を挙げにくくなってしまう。 スポーツやスポーツを通じたイベントはたくさんの人々の支えがあって成り立つもので、ただ「勝ち負け」だけを切り取ってしまうと、本質を理解するのも難しくなってしまいます。 スポーツが若い人たちにとって価値あるものであることを、世の中からより認識されるようになってほしいですね。 インターハイには、運営面で頑張る地域住民や学生、選手を支える家族や仲間、恩師の存在、練習を通じて得られる成長など、勝敗という枠を超えて幅広い視野で見てもらうことができれば、この大会にも改めて大きな価値が認められるのではないかと思います。 宮崎県出身。 柔道六段。 5歳から柔道を始め、東海大学付属相模高校では、全国高校選手権で個人・団体ともに優勝を果たし、3年生時には山下泰裕以来の高校生での全日本選手権出場という快挙を達成する。 東海大学へ進学後、99年のバーミンガム世界選手権に初出場して初優勝し、翌2000年のシドニーオリンピック100kg級では見事金メダルを獲得した。 その後、全日本選手権と世界選手権をともに3連覇し、04年のアテネオリンピック100kg級にも出場。 その他にも、全日本選抜体重別選手権や講道館杯、嘉納治五郎杯などの大会で数々のタイトルを持つ。 卒業後は綜合警備保障に所属し活躍を続けるが、08年の全日本選手権への出場を最後に現役を引退。 指導者の道を選び、スコットランドで2年間の留学生活を経験。 11年3月に綜合警備保障を退職し、4月からは東海大学体育学部武 道学科専任講師(現在:准教授)、東海大学柔道部副監督に就任する。 12年11月に全日本柔道男子監督に就任し、リオテデジャネイロ・オリンピック大会では日本男子代表の全階級がメダルを獲得するという快挙を達成した。

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