よう いっ ちゃ 長崎。 081 鎖国政策と長崎貿易

長崎が第二次世界大戦後、どのように復興していったかについて知りたい...

よう いっ ちゃ 長崎

「そがんことはなか!美味しかちゃんぽんは、だいが食べたっちゃ美味しかさ」 写真:東京の長崎ちゃんぽん 長崎の高校を卒業し、東京の大学へ進学。 大学卒業後も都内の会社に就職し、30余年。 社会人としてごく普通にサラリーマン生活を送ってきました。 ある時ネット上での会話から、長崎では当たり前であった「かぶり」が、東京には無いことを知りました。 曰く、「食べ残しを持ち帰るなんて考えられない。 」「食べられる分をオーダーするのが常識」というのが東京での常識のようです。 確かに食べ物を残すのは今の時代エコに反します。 ならば、持って帰って食べればいい。 長崎では宴会で残った料理は、生もの以外はお店の方で「かぶり」にしてくれます。 東京と長崎でのこの常識の違いはなんだ?他にも色々と違いがあるかも。 もしかしてこの違いを調べていくと、地元に居た時には見えなかった長崎の姿が見えるのではないのだろうかと思ったのが今回のテーマのきっかけです。 まずは、東京に出てきた人は誰でも遭遇し、他人に話して「なに?それ」と言われる、長崎と東京の違いを取り上げてみました。 お正月の「雑煮」 写真 長崎雑煮 一般的に雑煮の大きな違いは、餅の形に現れます。 関ヶ原を境に西日本はおおむね丸餅、東日本はおおむね角餅。 またそれを焼く、焼かないで分かれます。 汁は近畿を除く西日本と東日本はすまし汁仕立て、関西は白味噌仕立てとなり、一部では小豆汁の地域もあります。 具は大根、ねぎ、人参等の野菜に加え、その土地の山の幸、海の幸が入ります。 東北では山菜、新潟なら鮭、広島なら牡蠣などです。 長崎の雑煮は丸餅タイプですが、大きな特徴は具の多さです。 丸餅、唐人菜、魚、鳥、紅白蒲鉾、エビ蒲鉾、干しナマコ、椎茸、昆布、里芋、筍、クワイなど、7~13品の具が入り、金蒔絵のお椀に盛り付けられます。 非常に豪華なお雑煮といえます。 他の地域では、お餅がメインで、プラスその土地の名産品が一品加わるのが普通ですが、長崎ではお餅は脇役ではないかと思うほどの具の多さです。 鎖国時代に海外との窓口になっていた長崎は、貿易による利益の一部を長崎の民衆に分け与えていました。 「箇所銀・かまど銀」と呼ばれるものですが、簡単に言えば、貿易港としての業務を長崎の住民全体で責任を持つ代わりにボーナスをもらうようなもので、隅々まで配られたといいます。 したがって、長崎人は他の地域の民衆より裕福であったはずです。 図:餅の形分布図 2. 桃の節句の「桃カステラ」 一般には、3月3日の桃の節句には、雛人形を飾り、ちらし寿司やハマグリのお吸い物、白酒などでお祝いをします。 長崎ではこれに加え、内祝いとして親戚、知人にお返しで桃カステラを送ります。 桃は中国古来、中国では不老長寿や厄よけの果実とされ、祝事の象徴として尊ばれてきました。 日本でも神話や昔話にも登場し、縁起の良い果物として知られていますが、桃の実を象った縁起菓子を贈る習慣は長崎だけです。 カステラという長崎が誇る菓子に高級な砂糖まで載せてしまう、豪華なお祝いといえます。 写真:桃カステラ 3.端午の節句の「鯉のぼりの揚げ方」 最近は住宅事情から大きな鯉のぼりを見ることは少なくなりましたが、子供の頃、非常に不思議に思っていたことです。 小学校の教科書に出てくる鯉のぼりの絵と、実際に長崎市内でみる鯉のぼりの揚がり方が明らかに違いました。 教科書に載っている鯉のぼりは、竿の先に矢車があり、その下に滑車とロープが取り付けられて直接そのロープに結びます。 垂直に立つ竿に直角になるよう取り付けられます。 しかし、長崎では、杉の丸太の先を残した支柱に竹竿を斜めに掛け、鯉を吊り下げるような形で取付けるので、風がなくても鯉がよく見えます。 江戸時代の唐船がの船旗がこのような揚げ方だったそうで、昔の絵にも描かれています。 写真:長崎(左)と東京(右)の鯉のぼりの揚げ方 4.お盆の「墓参り」と「お墓」 お盆の行事は、一般的に7月(旧暦のお盆)または8月(新暦のお盆)に行なわれます。 ・13日…迎え火。 死者を家に迎えます。 ・16日…送り火。 死者を送ります。 ・お墓の掃除とお墓参り。 ・精霊棚(しょうりょうだな)・盆棚(ぼんだな)を飾る。 ・盆提灯を飾る。 ・僧侶を呼び供養の法要を行なう。 長崎のお盆も基本的には同じですが、大きな違いは、お墓参りと精霊船です。 14日15日がお墓参りの日となりますが、親戚が集まり、掃除や、お花や水を替え、夕方からは提灯に火を入れます。 その後用意してきたお酒や食べ物を食べながら、花火に興じます。 大きな音の出る爆竹や、夜火矢などで盛り上がります。 昔は芸者を呼んでの宴会までもあったらしい。 調べてみると、お墓で宴会をする風習は長崎の他には沖縄にあるぐらいで、他の地域にはないようです。 沖縄ではシーミー(清明祭)と呼ばれ、春分すぎから4月中に行われる行事で、元々は中国の文化だそうです。 長崎のお墓で宴会も、この清明祭が元になっているのではないかと思います。 また、お墓で花火は岩手県の一部、宮古周辺で行われているようです。 これについては、長崎(中国文化)との関連がわかりませんが、遠く離れた地域での、共通した習慣は興味深いものがあります。 お墓での宴会や、花火は東京の人にとっては「罰あたり」なことになります。 もし東京のお墓で花火をやったら、パトカーが飛んで来ることでしょう。 写真:精霊流し お墓そのものにも東京とは大きな違いがあります。 長崎の墓にあって東京のお墓にないもの。 ・門があり、塀がある。 ・文字が金色 ・座るところがある。 ・土神が祭ってある。 ・提灯を立てる穴がある。 東京では大きな墓でも間口1800mm、奥行き2400mm位でしょうか。 ほとんどが墓石だけのお墓です。 とても家族、親戚が集まって宴会出来るスペースはありません。 料理が甘い 東京にある「長崎ちゃんぽん、皿うどん」のお店を随分と食べ歩きました。 昔は「なんがこいがちゃんぽんか」というような、似ても似つかないちゃんぽんが沢山ありましたが、現在は物流コストも安くなり、麺は長崎直送を使用しているところが多くなりました。 しかし、私が長崎で食べていた「長崎のちゃんぽんの味」はほとんどありません。 長崎出身の方が始めた店も多いのですが、どういう訳か違います。 ほとんどが塩辛くスープを最後まで飲み干せないちゃんぽんばかりです。 ネットでのお店の評判を調べてみると、九州、長崎出身者に評判が良いお店は、長崎の味を知らない東京の人には不評です。 逆に長崎出身者に不評な店が案外評価が高かったりします。 また、「長崎へ行くので、美味しいちゃんぽん屋を教えてくれ」と言われ、地元で評判の良いお店を教えても、「なんだかやたらと甘いし、味も薄い感じだった。 あれが本場のちゃんぽん?東京で食べた方が美味しいような…」と言われることが多いのです。 実は長崎の料理は、東京の料理と比べると甘みが強いのです。 日常よく使う醤油を例にとると、東京では激辛、長崎は激甘に分類されます。 東京の方が長崎の醤油で刺身を食べると「勿体ない、こんなに美味しい魚なのに」と口には出しませんが心の中で思います。 逆に長崎人は醤油の味しかしないような真っ黒な汁のうどんは食べることができません。 長崎人と東京人の味覚に対する感覚が違うのです。 図:醤油の辛さ分布図 中華街の料理も、横浜、神戸の中華街と食べ比べると長崎の方が甘い味付けです。 海老チリなどは特にその傾向が強いようで、「長崎のは甘すぎ、やっぱり海老チリは辛いから美味しい」という東京人が多い。 長崎の甘い料理は、開港された1571年、ポルトガルの船が運んできた砂糖が長崎の食文化に大きな影響を与えた名残です。 当時日本の甘味料は麹や干し柿などが用いられ、砂糖はありませんでした。 しかし長崎ではこのポルトガルからの砂糖を使ったお菓子、料理が発達していきます。 「今日の料理は長崎の遠うございまして」これは「今日は甘みの少ない料理で申し訳ない」を表現する言葉として使われます。 甘くないことは恥じなければいけないことで、甘いことがお客様をもてなす気持ちの表れだったわけです。 長崎料理の「甘い」は「旨い」と同義なのです。 江戸時代、長崎は日本で唯一砂糖が手に入る場所でした。 そこから長崎街道、いわゆる「シュガーロード」を通って江戸へ伝わるのですが、江戸までは遠く砂糖が江戸に着くころには「贅沢品」となり、一般人の口に入るようなものではなかったわけです。 つまり東京の文化は砂糖を使う料理に馴染みが無かったのです。 卓袱料理 写真 卓袱料理 卓袱料理はオランダ、中国、日本人が一緒に食事が出来るよう、様々なタイプの料理が並びます。 それらは大皿に盛られ、自分の箸で取り皿にと一緒に食べるというスタイルは江戸時代では珍しいことである。 天領であった長崎だったから、身分の上下の隔てなく、武家町人も同席で「卓」を囲めたのであり、それまでの「銘銘膳」という日本形式と逆のスタイルの卓袱料理が生まれたのは、長崎ならではのことではないだろうか。 トルコライス 歴史ある料理ではないが、現代の長崎の特徴的な料理として、「トルコライス」があります。 ピラフ、スパゲティー、カツ+サラダ。 このバラエティに富むメニューは、卓袱料理になじんだ長崎人以外には発想できない、現代の和華蘭料理ではないだろうか。 料理のジャンルを超え、誰もが好きそうなものを全く上下関係無しにお皿に盛る。 長崎らしい料理だと思います。 写真 トルコライス 4. 「かぶりにする」 長崎の宴会料理はとても量が多いのが特徴です。 他県でも地方へ行くほどこの傾向は強く、食べ物を沢山出すことが、お客様のおもてなしになると思われているようです。 しかし、都会ではこの習慣は少なくなってきています。 おもてなしの方法が増えているのかもしれません。 長崎では食べ切れず残ったものは、「かぶり」にして持って帰るのが常識ですが、東京ではまずありません。 食品衛生法の問題や、食習慣の変化で、残り物を持ち帰ることを嫌がる人が多く、「残すくらいなら、最初から食べられる量を出すのが配慮というもの。 」「必要以上にオーダーする方が悪い」という意見もあります。 残ったものを持ち帰ることがあり得ないという考えです。 お店側も基本的に駄目というところが多いようです。 欧米では「ドギーバッグ」という折りたたみバッグで、「家のペットのために持ち帰るから」という名目で残り物を持ち帰る習慣があります。 東京でもNPOなどが「ドギーバッグ」の普及活動を行っていますが、元々習慣がない東京では、なかなか難しいようです。 長崎では冠婚葬祭の料理は、明らかに持ち帰りを計算している量です。 提供する側は「かぶり」を含めてひとつの「おもてなし」としています。 しかし、長崎に居ると標準語だと思っている長崎弁が実に多いのです。 東京へ出てきて、最初に「ああこれは長崎弁だったのか」と気づくのが「なおす」。 「納す」から来てるという説もあるが、標準語では「片づける」「仕舞う」。 長崎出身者はこれがなかなか「直す」ことができない。 私はインテリアデザインの仕事をしているのだが、現在のようにCADが無かった時代、部下に図面を渡し「これ、なおしておいて」、部下「どこを直すんですか?」私「図面を…. 」、「だから何処を?」誰もが経験することです。 その他にも伝わりそうで伝わらない「からう」「はわく」を標準語と思っている方も居るのではないだろうか。 東京の人が最も戸惑う長崎弁 長崎弁には沢山の特徴的な言葉があるが、その中でも東京の人が最も戸惑う言葉として「行く、来る」「よかよか」の使い方があります。 長崎人AとBが電話でA「今から来るけん」B「おーっ、わかった」 これで通じるのだが、これが東京人相手では全く通じない。 仮にBが東京人だとすると、 A「今から来るけん」、B「?(なぜそんなことを俺に電話してくるんだろう)……誰が?」 A「おいがさ」、B「えっ?俺はおまえの家に誰が来るのかを聞いてるんだよ」 A「おいんがたにはだいも来ん。 わいんがたにおいが来っと」B「?」 「行くと「来る」の意味が完全に逆転しています。 これは、長崎人が相手の立場になって話していることを物語っていると思われます。 「よかよか」 長崎人A「こいは、もろて行ってよかやろか」B「よかよか」 A「ほんとによかと?」B「よかよ」AがCに「おうちももろていかんね」 C「うちはよかよか」 これも東京人には全く意味不明です。 はっきりと拒否せず、前後の流れで相手が判断する、長崎人にしか通用しない物言いだと思います。 純粋な長崎弁ではないが、他の地域では使われなくなった言葉 母「こん服は、兄ちゃんとおもやいで着らんね」 弟「え~、おもやいね。 いっつも兄ちゃんとおもやいやかね」 「もやい」=「紡い」「催い」長崎弁だと思っていたのだが、調べてみると、国語辞典にも載っている立派な日本語でした。 北部九州と、兵庫、愛知がいまでも使っており、その他の地域ではほとんど使われていないらしい。 「一緒に」や「共有」というような意味で使われるが、ここ言葉が残っていることが、 長崎を見る重要な鍵となるのではないかと思う。 まず歴史上ポルトガル、後にオランダ・中国、国内の様々な地域からの人の流入が長崎文化の形成に係わっているのは間違いない。 長崎は、1570年にポルトガル船受け入れ契約し、1571年に開港しました。 入港した船員や宣教師達は、約2000人。 当時長崎村は100戸あまりの村と言われていたので、かなりの比率で外国人が居たことになる。 また開港以後、長崎には学問、文化、貿易を求めて沢山の長崎以外の人々が来ますから、他の街には例を見ない文化の違う人達が沢山居たことになります。 村内の大多数は、ポルトガルから伝わったキリスト教が広まり、藩主大村純忠や領主長崎甚左衛門までもが改宗していますから、そのキリスト教の精神である「愛」「博愛」「隣人への愛」が説かれていたはずです。 この教えが訪れる外国人や各地から集まる見知らぬ日本人に対する長崎のベースになっていたのではないか、そしてその精神はキリシタン弾圧時代以後も長崎人のDNAに生きているのではないかと考えられます。 墓、坂、馬鹿が多いといわれる長崎。 長崎港を山が囲む地形は平地が少なく、坂の多い街であるのは間違いない。 その斜面にある墓もたしかに目立つ。 そしてその狭い土地に住む長崎人。 「馬鹿」がつくほどのお人好しと言われる長崎人。 それは異文化と付き合わなければならなかった、長崎の歴史が作ったものかも知れない。 異文化を取り入れる寛容さと、見知らぬ人々に対する愛情、言い換えれば「おもてなし、思いやり」の心を、育てたのではないだろうか。 端午の節句の鯉のぼり。 中国船の旗の揚げ方を模したと思われるが、この方法は風が無くてもよく広がって見やすく、風があるとなびくという合理的な揚げ方と言えます。 坂本竜馬の「亀山社中」の旗もこの様に揚げていたそうです。 「せっかく揚げるなら、みんなによく見えるように」との気遣いが感じられます。 お墓で宴会、花火は、お盆に帰ってきた霊を生きている人に対するように歓待していると言えます。 生きている人だけでなく、死んだ人までをみんなで歓待する尋常ではない人の良さを感じます。 食べ切れない程の料理でもてなし、残ったら持って帰ってもらう「かぶり」も、言葉が通じない人達との関係を保つ、長崎らしい習慣なのかもしれません。 円卓で、身分も関係もなく、みんなで好きなものを食べる卓袱料理は、どんな人でも気取らずに楽しんでもらおうという、長崎人の温かさを感じます。 「行く」「来る」に見える、相手の立場に立って話すという行為はある意味お節介ではあるが、非常にフレンドリーな関係を保とうという姿勢が見えます。 豪華な「正月の雑煮」や「桃カステラ」は、貿易で裕福であった長崎人が高級な砂糖を使いもてなす「ゆとり」や、「おおらかさ」を表している。 よかよかに見える「はっきりと拒否しない」曖昧な言い回しは、聞いている人に不快感を与えない気遣いの言葉かもしれない。 お人好しの裏側に、積極性に欠け、優柔不断というネガティブな部分も見えるが、全ては「おもやい」という、自分だけがではなく、良くも悪くも「みんな一緒に」の精神が長崎を作っているのではないだろうか。 県外から訪れる観光客に長崎を知ってもらうにはどうしたらよいのか、これまで見てきた長崎の良さを活かした提案をしてみたい。 長崎の良さは先にも述べたように、「おもやい」という他の地域では廃れてしまった「思いやりの精神」にあると。 多少お節介であっても、お客様を思いやる気持ちをはっきりと表わす方法を考えてみた。 」 おばあさん「ああ、そこやったらうちも降りるところやけん、一緒に連れていってやろか?」こういう光景が長崎ではよくあります。 「道案内する隊」はこういうお年寄りに上手く長崎をPRして頂こうという提案です。 困った人が居た場合に案内するのを条件に、お年寄りには、「道案内係パス(実質は定期券)」を通常の定期券より安く販売する。 電車に乗る時には首から道案内係パスを下げてもらい、乗車中は案内係となってもらう。 もちろん自分が出来る範囲で。 「私が道案内すっタイ!」 これはお節介かもしれないが、それが長崎の良さ。 長崎の親切さをアピールできる方法ではないかと思います。 「お節介でもよかやっか、困っとる人は助けんば!」 2. 「よかよかバッグ」 ドギーバッグのような折り畳み式のバッグを作成し、「よかよかバッグ加盟店」で配布する。 協賛するお店では、お客が「よかよかバッグ」を持って行くと料理やデザートを一品増やすサービスをする。 食べきれない人は持ち帰って食べる。 値段を安くすることではなく、沢山食べてもらうサービスを形として表わしたい。 値段ではなく気持ち。 「遠慮せんちゃ、どんどん食べて行かんね!」 3. 「じげもんにおまかせ」 観光客が立ち止まるところ、バス停や電停。 路地の分かれ道や坂の登り口に案内板を立てる。 そこには「旅行者の皆さま、お困りのこと、わからないことがありましたら、お近くのじげもん(地元の人)にお尋ねください」と書いておく。 いっそのこと訳を付けて長崎弁で書いてもいい 「なんか分からんことのあったら、だいっちゃよかけん、そこんにきにおるとに聞いてくれんね」 長崎人の気質を活かし、街としての最高のおもてなしの案だと思うがいかがでしょう。 「なんでん聞いてこんね、知っとることやったら教えてやっけん」 私がお近くのじげもんなら喜んで旅行者の方の相談に乗ります。 最後に今回のご縁で知り合えた塾生の方々、また長崎・東京在住で、このレポート作成にあたり相談にのってくれた仲間達に感謝いたします。

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面白い長崎弁★笑われちゃう方言のセリフ10選

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長崎らしさを、感じて頂きたい… 和洋折衷のおもてなしの店 長崎カフェ一花五葉です。 ステンドグラスを使い石畳をイメージした店内でゆっくりと時間を過ごして下さい。 おすすめ• スープランチ 1000円 税別• だし茶漬けの膳 900円 税別• オリジナルブレンドコーヒー 450円 税別• エスプレッソ シングル 450円 税別• エスプレッソ ダブル 500円 税別• カプチーノ 500円 税別• アイスカフェラテ 500円 税別• 紅茶 レモンティー 400円 税別• 紅茶 ロイヤルミルク 450円 税別• アフォガ-ド 580円 税別• カステラパフェ 680円 税別 概要 施設名 長崎カフェ 一花五葉 いちかごよう ジャンル カフェ・喫茶 エリア 浜町・中通り 住所 長崎県長崎市東古川町1-5 電話番号 095-824-8815 Open~Close 11:30~19:00 ランチLO14:30 夜LO18:30 定休日 月曜日 第3日曜日 アクセス 賑橋電停より徒歩4分 駐車場 近くにコインパーキング有 URL 地図.

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森山酒店(賑町)長崎の角打ちならここ!アツい夜が始まる!!

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「そがんことはなか!美味しかちゃんぽんは、だいが食べたっちゃ美味しかさ」 写真:東京の長崎ちゃんぽん 長崎の高校を卒業し、東京の大学へ進学。 大学卒業後も都内の会社に就職し、30余年。 社会人としてごく普通にサラリーマン生活を送ってきました。 ある時ネット上での会話から、長崎では当たり前であった「かぶり」が、東京には無いことを知りました。 曰く、「食べ残しを持ち帰るなんて考えられない。 」「食べられる分をオーダーするのが常識」というのが東京での常識のようです。 確かに食べ物を残すのは今の時代エコに反します。 ならば、持って帰って食べればいい。 長崎では宴会で残った料理は、生もの以外はお店の方で「かぶり」にしてくれます。 東京と長崎でのこの常識の違いはなんだ?他にも色々と違いがあるかも。 もしかしてこの違いを調べていくと、地元に居た時には見えなかった長崎の姿が見えるのではないのだろうかと思ったのが今回のテーマのきっかけです。 まずは、東京に出てきた人は誰でも遭遇し、他人に話して「なに?それ」と言われる、長崎と東京の違いを取り上げてみました。 お正月の「雑煮」 写真 長崎雑煮 一般的に雑煮の大きな違いは、餅の形に現れます。 関ヶ原を境に西日本はおおむね丸餅、東日本はおおむね角餅。 またそれを焼く、焼かないで分かれます。 汁は近畿を除く西日本と東日本はすまし汁仕立て、関西は白味噌仕立てとなり、一部では小豆汁の地域もあります。 具は大根、ねぎ、人参等の野菜に加え、その土地の山の幸、海の幸が入ります。 東北では山菜、新潟なら鮭、広島なら牡蠣などです。 長崎の雑煮は丸餅タイプですが、大きな特徴は具の多さです。 丸餅、唐人菜、魚、鳥、紅白蒲鉾、エビ蒲鉾、干しナマコ、椎茸、昆布、里芋、筍、クワイなど、7~13品の具が入り、金蒔絵のお椀に盛り付けられます。 非常に豪華なお雑煮といえます。 他の地域では、お餅がメインで、プラスその土地の名産品が一品加わるのが普通ですが、長崎ではお餅は脇役ではないかと思うほどの具の多さです。 鎖国時代に海外との窓口になっていた長崎は、貿易による利益の一部を長崎の民衆に分け与えていました。 「箇所銀・かまど銀」と呼ばれるものですが、簡単に言えば、貿易港としての業務を長崎の住民全体で責任を持つ代わりにボーナスをもらうようなもので、隅々まで配られたといいます。 したがって、長崎人は他の地域の民衆より裕福であったはずです。 図:餅の形分布図 2. 桃の節句の「桃カステラ」 一般には、3月3日の桃の節句には、雛人形を飾り、ちらし寿司やハマグリのお吸い物、白酒などでお祝いをします。 長崎ではこれに加え、内祝いとして親戚、知人にお返しで桃カステラを送ります。 桃は中国古来、中国では不老長寿や厄よけの果実とされ、祝事の象徴として尊ばれてきました。 日本でも神話や昔話にも登場し、縁起の良い果物として知られていますが、桃の実を象った縁起菓子を贈る習慣は長崎だけです。 カステラという長崎が誇る菓子に高級な砂糖まで載せてしまう、豪華なお祝いといえます。 写真:桃カステラ 3.端午の節句の「鯉のぼりの揚げ方」 最近は住宅事情から大きな鯉のぼりを見ることは少なくなりましたが、子供の頃、非常に不思議に思っていたことです。 小学校の教科書に出てくる鯉のぼりの絵と、実際に長崎市内でみる鯉のぼりの揚がり方が明らかに違いました。 教科書に載っている鯉のぼりは、竿の先に矢車があり、その下に滑車とロープが取り付けられて直接そのロープに結びます。 垂直に立つ竿に直角になるよう取り付けられます。 しかし、長崎では、杉の丸太の先を残した支柱に竹竿を斜めに掛け、鯉を吊り下げるような形で取付けるので、風がなくても鯉がよく見えます。 江戸時代の唐船がの船旗がこのような揚げ方だったそうで、昔の絵にも描かれています。 写真:長崎(左)と東京(右)の鯉のぼりの揚げ方 4.お盆の「墓参り」と「お墓」 お盆の行事は、一般的に7月(旧暦のお盆)または8月(新暦のお盆)に行なわれます。 ・13日…迎え火。 死者を家に迎えます。 ・16日…送り火。 死者を送ります。 ・お墓の掃除とお墓参り。 ・精霊棚(しょうりょうだな)・盆棚(ぼんだな)を飾る。 ・盆提灯を飾る。 ・僧侶を呼び供養の法要を行なう。 長崎のお盆も基本的には同じですが、大きな違いは、お墓参りと精霊船です。 14日15日がお墓参りの日となりますが、親戚が集まり、掃除や、お花や水を替え、夕方からは提灯に火を入れます。 その後用意してきたお酒や食べ物を食べながら、花火に興じます。 大きな音の出る爆竹や、夜火矢などで盛り上がります。 昔は芸者を呼んでの宴会までもあったらしい。 調べてみると、お墓で宴会をする風習は長崎の他には沖縄にあるぐらいで、他の地域にはないようです。 沖縄ではシーミー(清明祭)と呼ばれ、春分すぎから4月中に行われる行事で、元々は中国の文化だそうです。 長崎のお墓で宴会も、この清明祭が元になっているのではないかと思います。 また、お墓で花火は岩手県の一部、宮古周辺で行われているようです。 これについては、長崎(中国文化)との関連がわかりませんが、遠く離れた地域での、共通した習慣は興味深いものがあります。 お墓での宴会や、花火は東京の人にとっては「罰あたり」なことになります。 もし東京のお墓で花火をやったら、パトカーが飛んで来ることでしょう。 写真:精霊流し お墓そのものにも東京とは大きな違いがあります。 長崎の墓にあって東京のお墓にないもの。 ・門があり、塀がある。 ・文字が金色 ・座るところがある。 ・土神が祭ってある。 ・提灯を立てる穴がある。 東京では大きな墓でも間口1800mm、奥行き2400mm位でしょうか。 ほとんどが墓石だけのお墓です。 とても家族、親戚が集まって宴会出来るスペースはありません。 料理が甘い 東京にある「長崎ちゃんぽん、皿うどん」のお店を随分と食べ歩きました。 昔は「なんがこいがちゃんぽんか」というような、似ても似つかないちゃんぽんが沢山ありましたが、現在は物流コストも安くなり、麺は長崎直送を使用しているところが多くなりました。 しかし、私が長崎で食べていた「長崎のちゃんぽんの味」はほとんどありません。 長崎出身の方が始めた店も多いのですが、どういう訳か違います。 ほとんどが塩辛くスープを最後まで飲み干せないちゃんぽんばかりです。 ネットでのお店の評判を調べてみると、九州、長崎出身者に評判が良いお店は、長崎の味を知らない東京の人には不評です。 逆に長崎出身者に不評な店が案外評価が高かったりします。 また、「長崎へ行くので、美味しいちゃんぽん屋を教えてくれ」と言われ、地元で評判の良いお店を教えても、「なんだかやたらと甘いし、味も薄い感じだった。 あれが本場のちゃんぽん?東京で食べた方が美味しいような…」と言われることが多いのです。 実は長崎の料理は、東京の料理と比べると甘みが強いのです。 日常よく使う醤油を例にとると、東京では激辛、長崎は激甘に分類されます。 東京の方が長崎の醤油で刺身を食べると「勿体ない、こんなに美味しい魚なのに」と口には出しませんが心の中で思います。 逆に長崎人は醤油の味しかしないような真っ黒な汁のうどんは食べることができません。 長崎人と東京人の味覚に対する感覚が違うのです。 図:醤油の辛さ分布図 中華街の料理も、横浜、神戸の中華街と食べ比べると長崎の方が甘い味付けです。 海老チリなどは特にその傾向が強いようで、「長崎のは甘すぎ、やっぱり海老チリは辛いから美味しい」という東京人が多い。 長崎の甘い料理は、開港された1571年、ポルトガルの船が運んできた砂糖が長崎の食文化に大きな影響を与えた名残です。 当時日本の甘味料は麹や干し柿などが用いられ、砂糖はありませんでした。 しかし長崎ではこのポルトガルからの砂糖を使ったお菓子、料理が発達していきます。 「今日の料理は長崎の遠うございまして」これは「今日は甘みの少ない料理で申し訳ない」を表現する言葉として使われます。 甘くないことは恥じなければいけないことで、甘いことがお客様をもてなす気持ちの表れだったわけです。 長崎料理の「甘い」は「旨い」と同義なのです。 江戸時代、長崎は日本で唯一砂糖が手に入る場所でした。 そこから長崎街道、いわゆる「シュガーロード」を通って江戸へ伝わるのですが、江戸までは遠く砂糖が江戸に着くころには「贅沢品」となり、一般人の口に入るようなものではなかったわけです。 つまり東京の文化は砂糖を使う料理に馴染みが無かったのです。 卓袱料理 写真 卓袱料理 卓袱料理はオランダ、中国、日本人が一緒に食事が出来るよう、様々なタイプの料理が並びます。 それらは大皿に盛られ、自分の箸で取り皿にと一緒に食べるというスタイルは江戸時代では珍しいことである。 天領であった長崎だったから、身分の上下の隔てなく、武家町人も同席で「卓」を囲めたのであり、それまでの「銘銘膳」という日本形式と逆のスタイルの卓袱料理が生まれたのは、長崎ならではのことではないだろうか。 トルコライス 歴史ある料理ではないが、現代の長崎の特徴的な料理として、「トルコライス」があります。 ピラフ、スパゲティー、カツ+サラダ。 このバラエティに富むメニューは、卓袱料理になじんだ長崎人以外には発想できない、現代の和華蘭料理ではないだろうか。 料理のジャンルを超え、誰もが好きそうなものを全く上下関係無しにお皿に盛る。 長崎らしい料理だと思います。 写真 トルコライス 4. 「かぶりにする」 長崎の宴会料理はとても量が多いのが特徴です。 他県でも地方へ行くほどこの傾向は強く、食べ物を沢山出すことが、お客様のおもてなしになると思われているようです。 しかし、都会ではこの習慣は少なくなってきています。 おもてなしの方法が増えているのかもしれません。 長崎では食べ切れず残ったものは、「かぶり」にして持って帰るのが常識ですが、東京ではまずありません。 食品衛生法の問題や、食習慣の変化で、残り物を持ち帰ることを嫌がる人が多く、「残すくらいなら、最初から食べられる量を出すのが配慮というもの。 」「必要以上にオーダーする方が悪い」という意見もあります。 残ったものを持ち帰ることがあり得ないという考えです。 お店側も基本的に駄目というところが多いようです。 欧米では「ドギーバッグ」という折りたたみバッグで、「家のペットのために持ち帰るから」という名目で残り物を持ち帰る習慣があります。 東京でもNPOなどが「ドギーバッグ」の普及活動を行っていますが、元々習慣がない東京では、なかなか難しいようです。 長崎では冠婚葬祭の料理は、明らかに持ち帰りを計算している量です。 提供する側は「かぶり」を含めてひとつの「おもてなし」としています。 しかし、長崎に居ると標準語だと思っている長崎弁が実に多いのです。 東京へ出てきて、最初に「ああこれは長崎弁だったのか」と気づくのが「なおす」。 「納す」から来てるという説もあるが、標準語では「片づける」「仕舞う」。 長崎出身者はこれがなかなか「直す」ことができない。 私はインテリアデザインの仕事をしているのだが、現在のようにCADが無かった時代、部下に図面を渡し「これ、なおしておいて」、部下「どこを直すんですか?」私「図面を…. 」、「だから何処を?」誰もが経験することです。 その他にも伝わりそうで伝わらない「からう」「はわく」を標準語と思っている方も居るのではないだろうか。 東京の人が最も戸惑う長崎弁 長崎弁には沢山の特徴的な言葉があるが、その中でも東京の人が最も戸惑う言葉として「行く、来る」「よかよか」の使い方があります。 長崎人AとBが電話でA「今から来るけん」B「おーっ、わかった」 これで通じるのだが、これが東京人相手では全く通じない。 仮にBが東京人だとすると、 A「今から来るけん」、B「?(なぜそんなことを俺に電話してくるんだろう)……誰が?」 A「おいがさ」、B「えっ?俺はおまえの家に誰が来るのかを聞いてるんだよ」 A「おいんがたにはだいも来ん。 わいんがたにおいが来っと」B「?」 「行くと「来る」の意味が完全に逆転しています。 これは、長崎人が相手の立場になって話していることを物語っていると思われます。 「よかよか」 長崎人A「こいは、もろて行ってよかやろか」B「よかよか」 A「ほんとによかと?」B「よかよ」AがCに「おうちももろていかんね」 C「うちはよかよか」 これも東京人には全く意味不明です。 はっきりと拒否せず、前後の流れで相手が判断する、長崎人にしか通用しない物言いだと思います。 純粋な長崎弁ではないが、他の地域では使われなくなった言葉 母「こん服は、兄ちゃんとおもやいで着らんね」 弟「え~、おもやいね。 いっつも兄ちゃんとおもやいやかね」 「もやい」=「紡い」「催い」長崎弁だと思っていたのだが、調べてみると、国語辞典にも載っている立派な日本語でした。 北部九州と、兵庫、愛知がいまでも使っており、その他の地域ではほとんど使われていないらしい。 「一緒に」や「共有」というような意味で使われるが、ここ言葉が残っていることが、 長崎を見る重要な鍵となるのではないかと思う。 まず歴史上ポルトガル、後にオランダ・中国、国内の様々な地域からの人の流入が長崎文化の形成に係わっているのは間違いない。 長崎は、1570年にポルトガル船受け入れ契約し、1571年に開港しました。 入港した船員や宣教師達は、約2000人。 当時長崎村は100戸あまりの村と言われていたので、かなりの比率で外国人が居たことになる。 また開港以後、長崎には学問、文化、貿易を求めて沢山の長崎以外の人々が来ますから、他の街には例を見ない文化の違う人達が沢山居たことになります。 村内の大多数は、ポルトガルから伝わったキリスト教が広まり、藩主大村純忠や領主長崎甚左衛門までもが改宗していますから、そのキリスト教の精神である「愛」「博愛」「隣人への愛」が説かれていたはずです。 この教えが訪れる外国人や各地から集まる見知らぬ日本人に対する長崎のベースになっていたのではないか、そしてその精神はキリシタン弾圧時代以後も長崎人のDNAに生きているのではないかと考えられます。 墓、坂、馬鹿が多いといわれる長崎。 長崎港を山が囲む地形は平地が少なく、坂の多い街であるのは間違いない。 その斜面にある墓もたしかに目立つ。 そしてその狭い土地に住む長崎人。 「馬鹿」がつくほどのお人好しと言われる長崎人。 それは異文化と付き合わなければならなかった、長崎の歴史が作ったものかも知れない。 異文化を取り入れる寛容さと、見知らぬ人々に対する愛情、言い換えれば「おもてなし、思いやり」の心を、育てたのではないだろうか。 端午の節句の鯉のぼり。 中国船の旗の揚げ方を模したと思われるが、この方法は風が無くてもよく広がって見やすく、風があるとなびくという合理的な揚げ方と言えます。 坂本竜馬の「亀山社中」の旗もこの様に揚げていたそうです。 「せっかく揚げるなら、みんなによく見えるように」との気遣いが感じられます。 お墓で宴会、花火は、お盆に帰ってきた霊を生きている人に対するように歓待していると言えます。 生きている人だけでなく、死んだ人までをみんなで歓待する尋常ではない人の良さを感じます。 食べ切れない程の料理でもてなし、残ったら持って帰ってもらう「かぶり」も、言葉が通じない人達との関係を保つ、長崎らしい習慣なのかもしれません。 円卓で、身分も関係もなく、みんなで好きなものを食べる卓袱料理は、どんな人でも気取らずに楽しんでもらおうという、長崎人の温かさを感じます。 「行く」「来る」に見える、相手の立場に立って話すという行為はある意味お節介ではあるが、非常にフレンドリーな関係を保とうという姿勢が見えます。 豪華な「正月の雑煮」や「桃カステラ」は、貿易で裕福であった長崎人が高級な砂糖を使いもてなす「ゆとり」や、「おおらかさ」を表している。 よかよかに見える「はっきりと拒否しない」曖昧な言い回しは、聞いている人に不快感を与えない気遣いの言葉かもしれない。 お人好しの裏側に、積極性に欠け、優柔不断というネガティブな部分も見えるが、全ては「おもやい」という、自分だけがではなく、良くも悪くも「みんな一緒に」の精神が長崎を作っているのではないだろうか。 県外から訪れる観光客に長崎を知ってもらうにはどうしたらよいのか、これまで見てきた長崎の良さを活かした提案をしてみたい。 長崎の良さは先にも述べたように、「おもやい」という他の地域では廃れてしまった「思いやりの精神」にあると。 多少お節介であっても、お客様を思いやる気持ちをはっきりと表わす方法を考えてみた。 」 おばあさん「ああ、そこやったらうちも降りるところやけん、一緒に連れていってやろか?」こういう光景が長崎ではよくあります。 「道案内する隊」はこういうお年寄りに上手く長崎をPRして頂こうという提案です。 困った人が居た場合に案内するのを条件に、お年寄りには、「道案内係パス(実質は定期券)」を通常の定期券より安く販売する。 電車に乗る時には首から道案内係パスを下げてもらい、乗車中は案内係となってもらう。 もちろん自分が出来る範囲で。 「私が道案内すっタイ!」 これはお節介かもしれないが、それが長崎の良さ。 長崎の親切さをアピールできる方法ではないかと思います。 「お節介でもよかやっか、困っとる人は助けんば!」 2. 「よかよかバッグ」 ドギーバッグのような折り畳み式のバッグを作成し、「よかよかバッグ加盟店」で配布する。 協賛するお店では、お客が「よかよかバッグ」を持って行くと料理やデザートを一品増やすサービスをする。 食べきれない人は持ち帰って食べる。 値段を安くすることではなく、沢山食べてもらうサービスを形として表わしたい。 値段ではなく気持ち。 「遠慮せんちゃ、どんどん食べて行かんね!」 3. 「じげもんにおまかせ」 観光客が立ち止まるところ、バス停や電停。 路地の分かれ道や坂の登り口に案内板を立てる。 そこには「旅行者の皆さま、お困りのこと、わからないことがありましたら、お近くのじげもん(地元の人)にお尋ねください」と書いておく。 いっそのこと訳を付けて長崎弁で書いてもいい 「なんか分からんことのあったら、だいっちゃよかけん、そこんにきにおるとに聞いてくれんね」 長崎人の気質を活かし、街としての最高のおもてなしの案だと思うがいかがでしょう。 「なんでん聞いてこんね、知っとることやったら教えてやっけん」 私がお近くのじげもんなら喜んで旅行者の方の相談に乗ります。 最後に今回のご縁で知り合えた塾生の方々、また長崎・東京在住で、このレポート作成にあたり相談にのってくれた仲間達に感謝いたします。

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