天皇 陛下 お 召し 列車。 陛下ご乗車の「お召し列車」どんな列車?運転時の特別な決まりも

令和の女子高生「めっちゃ天皇」/日本軍兵士「天ちゃん」

天皇 陛下 お 召し 列車

天皇皇后両陛下や上皇上皇后さまがご乗車される特別列車を「お召し列車」という。 くわしいことはここをご覧あれ。 お召し列車の運行には「三原則」があるといわれている。 他の列車と並んで走ってはならない。 追い抜かれてはならない。 立体交差では上の線路をほかの列車が走ってはならない。 このお召し列車をじかに見た女子高生が狂喜乱舞の興奮状態になって、「めっちゃ天皇なんだけど!」と叫ぶ動画がいま話題だ。 「めっちゃ天皇なんだけど!」 で爆笑してしまった — 月山 Tsukiyamma いま見たら500万回以上再生されていて、「いいね」も31万を超えていた。 ネットの反応をみたら、「親しみあってよろしいww」「めっちゃ嬉しがっててほのぼのするわ」「めっちゃ天皇なんだけど!これはパワーワードだなw」といった好意的なものが多いけど、このことばを「不敬」と問題視する人もけっこういる。 ・時代が少しでも違えば殺されてるな ・これは良いけど聞こえる場所だと天皇はマズい 陛下で良いんじゃないか ・いい加減にしろよ、天皇皇室はそんなに軽い存在じゃないぞ ・戦前だったらヤバかったな 戦前の天皇陛下は神的存在 ・戦時中なら不敬罪で営倉送り 令和の女子高生が日常の場で、「めっちゃ天皇なんだけど!」と思わず叫んで何が悪い。 むしろ問題は上のコメントのような考え方だ。 戦前・戦中の天皇は日本国民から「神的存在」とみられていて、「時代が少しでも違えば殺されてるな」とかいうデタラメを書きこむ人たち。 日本海軍の兵士として米軍とたたかい、戦後は作家として活躍した阿川 弘之(大正9年 — 平成27年)氏が当時の日本の空気をこう書いている。 天皇陛下を神様だなんて思ったこと、戦中戦後を通じて一度もありません。 海軍へ入ってからも、平気で天ちゃんって言ってましたよ。 事実また、海軍には、それを許す空気があったのです。 「国を思って何が悪い 光文社(阿川弘之)」 もちろん海軍がこの言い方を奨励していたわけではなかったけど、建前(公式)では「大元帥陛下」と言っていても、仲間同士では「天ちゃん」だった。 阿川氏が軍司令部に勤務していたころ、昼休みに同僚との会話で「天ちゃんがナおい、なんて言ってましたよ」と書いてある。 「戦時中なら不敬罪で営倉送り」というのは、海軍ならあり得ない。 むしろ、いまの日本人のほうが「神的存在」にみてないだろうか。 職場の会話で「きのうの即位式で、天ちゃんがな」なんてことは言えないと思う。 天皇を絶対的な存在としていた日本陸軍のほうが、実際には不敬や不忠をはたらくこともあったのだ。 「陛下 われわれ同志ほど、国を思い陛下のことをおもう者は日本国中どこをさがしても決しておりません」と言う磯部浅一(2・26事件の青年将校)は、昭和天皇のお心を踏みにじって激怒させた。 くわしいことはこの記事をどうぞ。 細かい表現よりも気持ちが大事。 戦前・戦中の日本軍兵士が平気で「天ちゃん」と呼んでいたのだから、令和の女子高生が「めっちゃ天皇なんだけど!」と言っても何も問題はない。 「大元帥陛下」と呼ぶより、こっちのほうがいいだろう。 もちろんこの言い方を奨励するわけではないし、基本的には「天皇陛下」だけど。 ここから宿のご予約ができますよ。 こちらの記事もいかがですか?.

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天皇 陛下 お 召し 列車

お召列車用機関車EF58-61とDD51-842 後の車両としては、(国鉄)の貴賓車として造られたがお召し列車としても用いられた。 お召し列車を牽引するには、運転を担うの中で特に状態の良い車両が選ばれる。 運転頻度の高い地区においてはお召し指定機関車というものがあり、過去には, , C51 239(), C51 276(), (), (梅小路機関区), , ED53 2(), , EF53 18(予備EF53 17, いずれも東京機関区)、() などが定められていた。 また、((JR東日本)に在籍)とEF58 60は、特にお召し列車牽引用としてメーカーに発注された指定機関車である。 従来、電気機関車が牽引の場合、トラブル発生に備えて必ずで運用されていたが、EF58形以降は単機での牽引となった。 なお、61号機が、60号機が製で、車体側面にの飾り帯を廻すなどお召し用として特別な仕様で造られている。 このうち、60号機は1983年(昭和58年)にとなり、61号機は2008年(平成20年)に運用から外れたが、のままの御料車庫で保管されている。 このほか、JR東日本のは、同社管内の路線で運転されるお召し列車の指定機となっており、通常もお召し用の装飾を残したまま運用されている。 お召し列車として運用された客車編成「一号編成」が2016年(平成28年)時点もJR東日本に在籍している。 このうち実際に天皇・皇后が乗車する車両をといい、随伴する供奉員が乗車する車両をという。 「一号編成」とクロ157形の老朽化に伴い、新たにの が(平成19年)7月に落成した。 基本は6両編成であるが、中間の特別車両 E655-1 を外した5両編成で一般のにも使用されている点で、従来のお召列車用車両と一線を画する。 また電源供給用のを備えており、区間ではによる牽引が考えられている。 お召し運用としては、2008年(平成20年)11月12日にデビューした。 では、やを除き特別な編成が備えられているわけではないが、がとなっている車両がいくつかあり、それが使われる。 詳細は「」および「」を参照 国鉄時代は、でお召し列車が運転される場合、レールの繋がっていないやを含め「一号編成」を全国各地にして運転された。 地方での運転などのため編成を長距離にわたり回送する場合は、回送中に傷や汚れが付着するのを防ぐため、御料車にのみ車体全体に覆いが掛けられた。 後は、「一号編成」が継承されたJR東日本を除き、他の各社はに用いている車両を特別に整備して使うことになった。 民営化後に「一号編成」がJR東日本以外の線区で使われたのは、(昭和62年)5月24日にで運転された時だけである。 (JR西日本)管内の直流電化区間でのお召し列車には「」が、非電化区間でのお召し列車には「」が充てられることが多く、前者の場合、防弾ガラスが使用されており、後者の場合、天皇、皇后が乗車する最後尾車両のスロフ14形には様々な対策工事や他の車両より特に念入りな保守が行われているという。 また、他の地区やなどでは原則として(特急用車両がなければ、最新または最良の設備を持つ車両)をお召し列車運用時に限り、特別に改造または整備して使われる。 お召し列車の運転回数が多い(近鉄)では、かつては特急車を改装し、天皇が乗車する場合にはを設けていた(のサ12551号車など)。 しかし、に入ってからなどJRのに相当するを設けている車両を使用し御座所は設けなくなっており、2014年以降は最上級クラスとなるを使用している。 珍しい例ではが1970年のの輸送用にのを改造した特別車両(車内にと(じゅうたん)を設置したもの)を用意したが、実際に使用されることはなかった。 (平成27年)現在JRに在籍している車両のうち、新幹線や特急用のグリーン車には防弾ガラスなどを備えているVIP対応車があり、お召し列車として運行する場合に多く使われる。 代表的なのは「サロンカーなにわ」やJR東日本に在籍していた だが、対策の観点から、当該車のは公表されていない場合も多く、見かけは普通のグリーン車であるため、判別はつきにくい。 運行 [ ] お召列車運転当日の乗務員の点呼風景 1977年6月24日 お召し列車にははなく、上でも「お召し」である。 ただし現在のJR東日本ではをで行うので、お召し列車にも列車番号を与えている。 下りは9001、上りは9002という列車番号が使われることが多いが、必ずしもそうであるわけではない。 の場合は、一般のと同じ列車番号が付けられることが多い。 お召し列車の運行には「三原則」があるといわれている。 他の列車と並んで走ってはならない。 追い抜かれてはならない。 では上の線路をほかの列車が走ってはならない。 このため臨時に他の列車の時間調整を行なうほか、などの不測の事態に備えてダイヤ作成担当者がお召し列車に添乗する。 にはお召し列車の10分程前に先導列車が運行され、先導列車が通過後は操作が許されないなど、特別の配慮がとられた。 初頭の現在でも同じ措置をとる場合がある(後述の記載も参照)。 お召し列車担当のは、運転区間を管轄する内で技術・勤務態度・を踏まえて選ばれる。 殊に衝撃のない発車や停止、数秒の狂いもない運転、数センチメートルのズレも許されないなど、通常の列車に比べて極めて細かい運行が求められるため、運転技術が特に優れている運転士が選ばれている。 移動日や時刻は『』によって公に示されている。 ただし通常の列車の場合もあるので、必ずしもお召し列車による運行とは限らない。 あくまで皇族の行事参加及びを掲載しているためである。 お召し列車は原則として夜には運転されない。 交通機関が発達していなかった前の例では天皇が長時間移動でお召し列車を用いる場合には、途中のなどに宿泊しながら移動していた。 例外は、(昭和22年)に15時42分発、翌6時57分着で運転された例が、お召し列車唯一のである。 また(昭和21年) - にを訪れた時には、で天皇が泊まるようなやなどが銚子に残っていなかったことから、の先に在ったであるに御料車を引き込んで、その中で泊ったことがある。 2019年(令和元年)現在まで、天皇が御料車内で泊ったことが認められるのはこの2件のみである。 その他 [ ] がとなってからは、鉄道ダイヤの変更などで、に負担を強いることを嫌う第125代天皇の意向やその他の事情によって、は一般の定期列車や臨時列車の一部の車両や(、)を利用することが多くなった。 このため、専用車両を用いたお召し列車が運行されることは少なくなっており、のの一環としての性格が強くなっている。 また、同じ理由で(宮廷ホーム)を使うことも減少し、2001年の使用を最後に現在は使用が停止されている。 お召し列車もの範疇に含まれるため、運行は定期列車の間を縫って走らせ、・料金も当局から然るべく支払われている。 お召し列車を運行するにあたっては、事前の準備やなどにも多くのがかかるが、慣例として当日のお召し列車運行そのものに掛かった経費のみをが支払っている。 (国鉄)時代は、お召し列車の運賃・料金はであった。 にあたり、でへのお召し列車を頻繁に運行していたに実情を問い合わせて、それに合わせる形で経費を計算することになった。 また、宮内庁がお召し列車の運転を申し込む窓口は、運転線区にかかわらずJR東日本が担っている。 これは民営化直前に、当時の国鉄運転局列車課長が宮内庁の問い合わせに対し、「おそらくに近い東京駅を管轄する東日本会社が担当するだろう」と答えたことが慣例となって続いている。 現代においても、お召し列車の運行については沿線やの警備のほかに、下に記した事柄のごとく細心の注意が払われていることが多い。 車両がした時の代替として予備車を用意する。 電化区間の場合は、停電時の対策としてを用意する場合も多い。 通常の車両を使用する場合でもを塗り直したうえでをなくすためにの削正(適正な踏面形状への削り直し)を施工し、窓を防弾ガラスにする(新規製造時にの乗車を考慮し、あらかじめ全てまたは一部の窓を防弾ガラスにしておく例もある)。 また、の設置スペースが確保されている。 本列車の運行の直前に特別の回送列車(指導列車。 通常は)を走らせ、に問題がないことを確認する(通称「」)。 過去には営業用列車が担当 した事もある。 列車の性格上、対策のため、極めて厳しい警備が行われる。 到着駅では国際会議開催・海外要人来日時と同様にやの使用が禁止されたり、場合によってはへの入場制限が行われたりする。 また沿線には警察官が配置され、列車上空をが追尾する。 ただし沿線でを撮る事が縛られているわけではなく、お召し鉄道ファンも少なくない。 車両前面にが備えられている車両をお召し列車として運行する場合、方向幕には何も示さない。 一般には白無地一色の幕を示すが、クロ157の牽引をが担っていた時はクリーム色一色の幕を示して運転していた。 なお、搭載車の場合は「」と示す場合がある。 主な運転記録 [ ] 1993年(平成5年) [ ]• : - 間(片道)6両• この列車に使用された座席はに保存されている。 : - 間(片道)(組み込み)• 現時点でクロ157形が使用された最後のお召し列車である(『』1993年8月号 p. 146)。 1994年(平成6年) [ ]• 『サロンカーなにわ』を初めて使用したお召し列車。 客車のテールマークにはとのが併記された。 ・夫妻と同乗。 一号編成の運転は9年ぶり、EF58 61の牽引は12年ぶり。 先王の夫妻が1月来日の際に2号御料車に乗車している。 外国の国王が2代続けて御料車に乗車したのは初。 運転に際して機関車前面に両国の国旗が掲げられたが、これは戦後になって初のケースとなった。 走行中に御料車の窓が開けられたのも異例。 1997年(平成9年) [ ]• 夫妻と同乗。 往路( - 大月駅間)は「」を利用。 2000年(平成12年) [ ]• : - 間(片道) 6両• : - 間(片道) 281系6両 2001年(平成13年) [ ]• 夫妻と同乗。 ・: - 中央本線間(19日甲府行き・21日原宿行き) 8両・非常時救援車DD51 842および(にて待機)• ・:東京駅(高架ホーム) - 間(29日小淵沢行き・31日東京行き〈東海道線〉) 9両 2006年(平成18年) [ ]• : - - 間(片道) 4両• :高山本線 - 東海道本線岐阜駅間(片道) キハ85系4両• ・: - 間(30日唐津行き・31日佐賀行き) キハ185系4両 2006年10月30日撮影、唐津線のお召し列車 2007年(平成19年) [ ]• : - 間(往復) 7両(予備車10106F)• ・夫妻と同乗。 : - 間(片道) 16両• : - 間(往復)281系6両 (使用A609編成、予備A608編成、乗車車両クロ280-9)• :東海道新幹線 京都駅 - 東京駅間(片道) 700系16両 2008年(平成20年) [ ]• :東海道新幹線東京駅 - 京都駅間(片道) 700系16両 (使用C51編成)• 10月30日・: 京都駅 - 間(30日奈良行き、31日京都行き) 6両(使用UL21編成、乗車車両モ21321)• :東海道新幹線京都駅 - 東京駅間(片道) 700系16両• : - 間(片道) 6両(E655系「なごみ」のお召し列車デビュー、露払い「」、予備)• ・夫妻と同乗。 先頭車両には日西両国の国旗が掲げられた。 11月12日: - 間(片道) 6両(使用TX-2168編成) 2009年11月3日撮影、つくばエクスプレスまつりにて公開された、お召し装飾が施された2168編成• の掲出のみで、国旗は掲げられていなかった。 2009年(平成21年) [ ]• :東京駅 - 間(片道) 8両(用) (使用N2編成)• :上越新幹線新潟駅 - 東京駅間(片道) E2系8両 (使用N2編成) 2010年(平成22年) [ ]• :東海道線東京駅 - - 間(片道) E655系5両(特別車両非連結、予備185系B1編成)• :東海道線 - 東京駅間(片道) E655系5両(特別車両非連結、予備185系B1編成)• 登山電車のお召し、日章旗・御紋はステッカー張り。 帰京はから新幹線にて。 :東海道新幹線東京駅 - (片道) 16両 (使用Z41編成)• : - 間(片道) 6両(使用TX-2167編成)• :首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスつくば駅 - 間(片道) TX-2000系6両(使用TX-2167編成)• : - - 間(片道) E655系6両(露払いDE10 1751、予備Be-03編成) 2010年9月26日に外房線で運転されたお召し列車。 皇族が乗車していない時間は国旗及び御紋章は収納される• :内房線 - 間(片道) E655系6両• jp 2010年10月8日付)• jp 2010年10月11日付)• : - 間(往復)• 12月21日: - 間 (使用2102編成、乗車車両2302号)• 運行距離1. 5 km。 平成になってから最も短い距離を運行したお召し列車である。 2011年(平成23年) [ ]• :東京駅 - 甲府駅間(片道) E655系6両• 当初は第125代天皇・の御下賜100周年記念行事出席に伴うお召し列車として運転が予定されていたが、天皇のによる体調不良のため、が天皇の名代として同行事に出席するための運転となった。 この場合、前述にもある通り本来は「御乗用列車」となるが、JR東日本の広報担当は「今回は陛下の名代ということもあってお召し列車としての運転となった」と説明、そのためお召し列車と同等の装飾を施しての運転となった。 なお、14日にも同区間で復路の運転が予定されていたが、皇太子はそのまま公務でへ向かったために運転は取り消しとなった。 2012年(平成24年) [ ]• :東京駅 - 間(往復) E2系8両(使用N2編成、予備N12編成)• :東海道新幹線東京駅 - 岐阜羽島駅(片道) N700系16両• :東海道新幹線岐阜羽島駅 - 東京駅(片道) N700系16両• 当初はに運転が予定されていたが、の影響で予定より前倒しての帰京となったため30日に運転された。 :東京駅 - 甲府駅間(往復) E655系6両 2012年10月6日に中央本線で運転されたお召し列車• :東海道新幹線東京駅 - 岐阜羽島駅(往復)N700系16両 2013年(平成25年) [ ]• :東海道本線東京駅 - 伊豆急行線下田駅間(片道)E655系5両(特別車両非連結、予備185系OM04編成)• :伊豆急行線下田駅 - 東海道本線東京駅間(片道)E655系5両(特別車両非連結、予備185系OM04編成)• : - 間(往復)8両(使用R8編成、予備R9編成) 2014年(平成26年) [ ]• :近畿日本鉄道 近鉄名古屋駅 - 間 6両• のと(璽)も動座。 (に伴う天皇皇后の伊勢神宮参拝時には恒例となっている)• : - 間(片道)6両(使用105編成、予備109編成)• :両毛線 - 小山駅間(片道)E655系5両(特別車両非連結、予備185系OM04編成)• jp 2014年5月23日付)• ・:近畿日本鉄道 - 間(15日橿原神宮前行き、16日京都行き) 近鉄50000系6両 2015年(平成27年) [ ]• :東京駅 - 間(片道)12両(使用F6編成)• 北陸新幹線・金沢開業後初のお召し列車。 :北陸新幹線東京駅 - 間(片道)E7系12両(使用F6編成) 2016年(平成28年) [ ]• ・:近畿日本鉄道京都線京都駅 - 橿原線橿原神宮前駅間(2日橿原神宮前行き、4日京都行き) 近鉄50000系6両 railf. jp 2016年4月3日付)• : - 間、鼠ケ関駅 - 間 E655系6両(予備車651系K105編成 railf. jp 2016年9月12日付) 2017年(平成29年) [ ]• ・:東京駅 - 間(往復、24日伊豆急下田駅行き、27日東京駅行き) E655系5両(予備車185系OM04編成)• 須崎で静養するため、特別編成の組み込み無し日章旗の掲示がない運行となった。 : - 間(片道) E655系6両(予備車E657系K5編成)• 、と同乗し、の視察に向かった。 先頭車両には両国の国旗が掲げられた。 の開通(東北本線の再敷設)により、北へ向かうお召し列車もから出発できるようになった。 2019年(平成31年) [ ]• :近畿日本鉄道 京都線京都駅 - 橿原線橿原神宮前駅間 近鉄50000系6両(50101編成(SV01))• :近畿日本鉄道 名古屋線近鉄名古屋駅 - 山田線宇治山田駅間 近鉄50000系6両(50101編成(SV01))• によるとしての参拝。 2019年(令和元年) [ ]• :東日本旅客鉄道 東北本線東京駅 - 常磐線(片道) E655系6両• 第126代天皇(徳仁)即位後、初めてのE655系6両(E655-1連結)によるお召列車。 :近畿日本鉄道 名古屋線近鉄名古屋駅 - 山田線宇治山田駅間 近鉄50000系6両(50103編成(SV03))• 天皇、皇后の即位における「」「」の一連の儀式終了を伊勢神宮へ報告する「親謁の儀」によるもの。 戦前 [ ]• 単線区間の閉塞方法(同じ区間に同時に2つの列車を走らせない)として、方法が採用されていた時期に、お召し列車のが、通過駅において授柱からの通票受け取りに失敗、再度取りに行くため、停車する事態になった。 このトラブル以後、お召し列車は受け取りに失敗した場合、通票を谷底に落とした場合と同様、そのまま進行してもよいとのが出された。 戦前は、お召し列車の通過中、沿線にいる者全員が最をした他、陸橋やなどから見下ろすことまで「である」として、官憲により規制された。 また、それに限らず、不穏なものが天皇の目に入ることを避けるようにされた。 (昭和5年)11月に発生した川崎工場のでは、この時に出現したが持っていたが、の視察から帰る途中のお召し列車 から見える可能性があったため、側が調停に入って労働者側の要求をほぼ受け入れ、煙突男は地上に下りた。 お召し列車はその後に付近を通過した。 運行トラブルから自殺者の出る事件となったこともある。 陪乗していた、時の総裁のによる記述が『』の1911年(明治44年)11月にあり、それによれば、次第は以下の通りである。 福岡県付近で行われるの大演習をが親臨されるため、7日に発の宮廷列車が運行され、・・でそれぞれ一泊した(当初は6日発、泊の予定であった)。 10日、馬関()での休憩と渡海後の休憩の後、12時半にを発車して車内で昼食の予定だったが、御料車が脱線したため復旧中で、休憩所で昼食を取った。 発車は1時(13時)過ぎとなった。 降雨中だったため御料車を汚さぬようにとの配慮から、カバーを付けたまま側線から本線に入換えをしていたところ、カバーから垂れた紐が風で転轍てこを引掛けたために4輪が脱線した(ボギー車)ためであった。 朝日新聞社『国鉄物語』によれば、すぐカバーを外せるよう紐をほどいてあったため垂れていたものという。 12日、門司駅の操車主任が馬関駅付近に行き轢死した、という報を受ける。 自殺であった。 16日発・19日着で帰京。 22日、操車主任の死亡につき、宮中より遺族に対し、300円の下賜があり、原との相談で、「憫然に思召されて」の事とした。 また、原はこの件で、お召し列車の運行体勢の改良を思案している。 の「幸吉の行燈」 は、この事件と、別の運行トラブル(蒸気機関車の走り装置のが停車地点で丁度となってしまい、さらにわずかながら上り勾配であったため、衝撃を与えずに引き出すことができず、発車できなかった、というもの で、そちらは自殺者は出ていない。 作中で曾野は「死点を外すためやむをえず後退した」と描写している)をヒントとした話ではあるが、これは戦後書かれたフィクションである。 「お召し列車運行に関わるわずかなでさえも、そのは、を含めて一生つきまとうものであった。 」といった印象もある。 天皇・皇后が、1両の御料車に同乗するようになったのは第二次世界大戦終了後のことで、それまでは原則としてそれぞれに専用の御料車を連結し運転していた。 乗車の際に皇后は、天皇の乗車をホームで見届けてから乗車していたという。 世界各国のお召し列車 [ ] オランダの王室専用客車 日本以外の各国でも、が存在する国には、日本のような「お召し列車」が運転されることがある、では「ロイヤルトレイン」 と呼ばれる列車が運転されることがある。 イギリス以外にも、やのように、王室が存在する国においては、王室専用客車(御料車)が用意されているが、その扱いは控車まで含め専用客車が用意され、目的によって色々組み合わせ1編成とするもの(イギリス、ノルウェー)から、基本的に1両で構成され、通常の客車を前後に控車として連結し運用されるもの(オランダ)など様々である。 では王室専用駅も設置されている。 、、など、帝政を廃止した国々においても、かつて帝室や王室が存在した当時にはお召し列車に相当する列車が運行されていた。 中でものがから(現在の)へ向かう際に乗車したお召し列車は、16両編成というその規模や、150人の料理人を乗せ狭い客車内にを左右25基、計50基も据えさせたこと、合計100皿にもおよぶ彼女の食事の度に長時間停車して他の列車を止めさせたことなど、エピソードにこと欠かない。 こうしたお召し列車に使用されたや貴賓車は、今でもその国や、かつてその国のだった国の鉄道博物館に残っていることがある。 もっとも西太后のお召し列車に使用された御料車は、彼女の死後の手に渡り、彼の専用列車に使用されていたが、の際に彼ごとに爆破されたので現存しない(一部がでに転用されているとの説もある)。 また2010年時点、では、時代に運行されていた皇帝のお召し列車の内装などを参考にした皇帝列車 MAJESTIC IMPERATOR TRAIN という名の一般の観光客向け企画列車が走っている。 なお、君主制から共和制に移行した国であっても、が国政を牛耳るような政治体制になった場合はしばしば似たような性格の鉄道車両が元首の命により整備され運行される。 やは専用列車を有していたし、やも国内の移動に専用客車を利用していた(ただし、蒋介石の専用客車は新製させたものではなく、日本が台湾に置き去りにした皇室用貴賓車の転用である)。 の最高指導者(、、)も特別列車()を所有し、での移動を嫌うために、その列車で数度、や(後にロシア連邦)を訪問していた。 においても、「トレイン1」と呼ばれる専用のが設定されている。 当初は存在が非公開だったが、に付近で脱線事故が発生。 その事故を起こした列車が、偶然にも大統領専用車両を組み込んだ編成ということで存在が広く知られた。 なお、一般列車として運行する場合は大統領専用車両は締め切り扱いとなっている。 2017年12月19日、大統領がに試乗した際、初めて車内が一般に公開された。 また、仕様の大統領専用編成(景福号)も存在する。 では第32代大統領が国内移動に専用列車が必要と判断し、フェルディナンド・マゼラン号 が1942年より導入された。 ルーズベルトの死後次代大統領に就任したは1948年の大統領選で専用列車で各地を遊説し、場所によっては駅間で列車を停めて列車の上から遊説するなどした結果、圧倒的に優位に立っていた候補を破って再選を果たした。 それにあやかって旅客鉄道輸送が殆ど廃れた現代でも大統領が列車で遊説する例が見られる。 マゼラン号は現在の ゴールドコースト鉄道博物館 に保存されている。 脚注 [ ] []• 『』朝刊2019年2月24日(東京面)2019年2月25日閲覧。 の参加による2回のみ。 その後は「」、「」などに使用されるかたわら、お召し列車予備機や(後述)初時の牽引を務めている。 JR東日本在籍。 塗色については製造時は同型機と同様のであったが、61号機はのお召し列車運転直前の検査時から一号編成の塗色(暗紅色・溜色〈ためいろ〉)に合わせた塗色に変えられた。 で調色したを基に赤を混ぜて調色した特別色。 このお召し列車は最後のお召し列車でもあった。 両車とも2010年10月22日付で廃車。 白土 貞夫「天皇がご宿泊になった貨物駅 -総武本線新生駅-」『』No. 808(2008年9月)pp. 67 - 71• 原宿駅については接続するが・等旅客列車の増発でダイヤが過密化し、専用列車の設定が難しくなったという事情もあり、2000年代以降関東地区発着の在来線お召し列車は、皇居に近く線路容量に余裕のあるを始発としている。 進士 友貞『国鉄最後のダイヤ改正 -JRスタートへのドキュメント-』交通新聞社 pp. 290-292• 1950年(昭和25年)3月から1961年(昭和36年)頃まで東京駅発で運転する場合は「」(9時発)を指導列車の代わりとし、その10分後を特急に準じたダイヤで運行していた。 同様に(平成20年)の発行でも「スーパーひたち15号」の後を追う形でE655系「なごみ」が運転された。 国外要人乗車の際は戦前は国旗を掲げて運転されていたが、戦後は国旗取り付けを行なっていなかった。 『RAIL FAN』第49巻第8号、鉄道友の会、2002年8月1日、 16-17頁。 MSN産経ニュース 産経デジタル. 2008年11月12日. の2009年2月10日時点におけるアーカイブ。 よんななニュース 2011年10月31日. 2011年11月3日閲覧。 八王子経済新聞 2011年11月14日. 2011年11月17日閲覧。 RM News 2012年7月10日. 2012年7月25日閲覧。 『産経新聞』 2017年11月28日. 2017年11月30日閲覧。 平岡豊 2017年11月28日. 『鉄道ファン』. 2017年11月30日閲覧。 2019年3月27日. 2019年4月19日閲覧。 2019年4月18日. 2019年4月19日閲覧。 乗りものニュース. メディア・ヴァーグ 2019年9月28日. 2019年9月28日時点のよりアーカイブ。 2019年10月10日閲覧。 2019年11月22日. 2019年12月14日閲覧。 天皇はのからまではで移動し、からまでお召し列車を利用した。 明治44年11月19日『新聞集成明治編年史. 第十四卷』(デジタルコレクション)• 『朝日新聞』連載記事。 同社より出版の単行本『国鉄物語』に収録。 初出は「お召列車、後退せず」の題で、1967年講談社『別冊小説現代』第2巻第1号(1967年1月15日発売、新春特別号)、pp. 218-243• (国立国会図書館デジタルコレクション)• 2011年9月12日, at the. 朝日将軍の執務室 2011年2月16日(『』2011年からの記事引用)• - 「ニュース」2009年1月18日付記事 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (宮廷ホーム) -• - - - - - - -• - によるお召し列車爆破計画、未遂 外部リンク [ ]•

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天皇陛下が新幹線で移動の場合は貸切り?飛行機や他の皇族の方は?

天皇 陛下 お 召し 列車

御料車とはいったいどんな車両!? ものものしい警備とともに威風堂々と現われる車列。 その中心には、見るからに一般車とは一線を画する威厳ある車体の大型リムジン。 一般車ではナンバープレートの装着される部分には菊のご紋が輝き、後席ドアの窓下にも菊のご紋。 天皇陛下、皇后陛下がお出ましの際にご乗車される『センチュリーロイヤル』です。 いったいこのセンチュリーロイヤルとはどんなクルマなのか!? 何台存在するのか!? 1台あたりの価格はどの程度なのでしょうか!? センチュリーロイヤルが導入されたのは平成18年のことでした。 それまでは日産自動車と合併する前のプリンス自動車工業が開発した「ニッサン・プリンスロイヤル」が御料自動車として使用されていましたが、製造から時間が経過したことで部品供給やメンテナンスの問題から、退役が決定。 引き継ぐかたちでトヨタ自動車がV12気筒エンジンを搭載する2代目センチュリーをベースに開発したのがセンチュリーロイヤルなのです。 意外に思われるかもしれませんが、この御料自動車にもナンバープレートが存在するのです。 前後バンパー部に装着される直径10cmの小さな鋳物製の「皇室用ナンバーブレート」がそれ。 さらに言えば車検も義務づけられているし、車検証も存在するのです。 毎年発生する自動車税は免税となっていますが、車検時に収める重量税は課されていて宮内庁が支払っています。 当然ながら個体を識別するための車台番号も打刻されています。 本書では御料自動車の車検証も資料として掲載しました。 御料自動車はこのセンチュリーロイヤルだけではなく、実はさまざまな車両が採用されていて、歴代を振り返れば実に15車種、49台もの御料自動車が存在しました。 そして現在は7台が皇室用ナンバープレートで登録されているのです。 本書ではその歴代御料車の詳細のみならず、導入の背景や経緯、車種選定の逸話などを著者工藤直通氏が、宮内庁が保管する資料を徹底的に精査し、紹介しています。 ここまで踏み込んだ資料開示はこれまでなかったはずです。 自動車だけではない お召し列車や専用機の秘密にも迫る!! 本書では御料自動車だけではなく、鉄道でのご移動の際に運転されるお召列車や、海外へお出かけの際などに使用される政府専用機、チャーター特別機の運航記録などにも迫っています。 特にお召し列車については平成年間だけではなく、大正時代、昭和時代にどのような車両によるお召列車がどのように運行されてのか!? 車両の細部や詳細、貴重な図面などの資料も掲載しています。 大正時代には、京都で使用する馬車を運搬するために専用の車両を新造したこともありました。 ところで国鉄の時代は無料だったお召列車ですが、分割民営化されJRとなって以降は「運賃」が支払われていることをご存知でしょうか!? どのように算定され、どのように支払われているのか!? それらも本書では宮内庁に残された資料から明らかにしています。 どうしても秘密のベールの奥のよう感じてしまう皇室ですが、本書では「乗り物」という視点から、可能な限り資料を発掘し、事実関係を検証しながら解き明かしていきました。 まもなく平成も幕を閉じ、新元号の時代が幕を開けます。 これを機に、本書を読んでいただき、皇室をもっと身近に感じていただければ幸いです。

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