神津カンナ。 神津カンナ プロフィール|講演依頼・講師派遣のシステムブレーン

杉本哲太は逮捕されていた!嫁の神津はづきには意外な才能があった

神津カンナ

中村メイコさんの子供たち 中村メイコさんと神津善行さんの間には3人の子供さんがいて、それぞれが芸術的才能にあふれています。 長女:神津カンナ 長女の神津カンナさんは1958年生まれ。 作家、エッセイストとして活躍。 東洋英和女学院高等部卒業後にニューヨークへ渡り、帰国後に「親離れするとき読む本」を著し、作家活動を開始します。 作家としての活動のほか、「ビートたけしのTVタックル」などテレビ番組の司会や、「神津カンナのあんな話こんな話」などラジオ番組のパーソナリティとしても活躍し、その多才ぶりを発揮しています。 次女:神津はづき 次女の神津はづきさんは1962年生まれ。 姉の神津カンナさんと同じく東洋英和女学院卒業後にニューヨークへ渡り、帰国後1983年に「わが家はカタログ」で女優デビュー。 以後、女優として、映画「二十四の瞳」「死国」、火曜サスペンスや月曜ドラマスペシャルなど、数多くの作品に出演する他、舞台やエッセイやラジオなどでも活躍。 1992年には俳優のさんと結婚し、現在は3児の母親になっています。 長男:神津善之助 長男の神津善之助さんは1972年生まれ。 現在はスペインに拠点を置く洋画家として活動しています。 1991年に武蔵工業大学入学し、1992年に「光の収集家」「20世紀最後の印象派」の異名を取るスペインの画家、J・トレンツ・リャド氏に師事。 以後、25歳の若さで東京で初個展を開きます。 その後も、マヨルカのバルセロ財団主催国際絵画展、マドリードの第65回サロン・デ・オトーニョ展、第14回BMW財団主催国際絵画展入選、デュラン絵画コンクール大賞など数多くの賞を受賞。 日本やスペイン・マドリードに数多くの個展を開催し、いずれも目覚ましい成功へと導いています。 中村メイコさんの自宅 中村メイコさんは、なんと近年自宅を手放したのだそうです。 30年間暮らしてきた一戸建てを引き払い、広さが3分の1のマンションに引っ越したのだとか。 「人生の終いじたく」という本を著している中村メイコさん、いわゆる「終活」の一環なのでしょうね。 「片付けを子供や孫や友人にさせるのは迷惑。 自分の身体が動くうちに、自分で全部片付けるのが大人のエチケット」と言う中村メイコさん。 最終的にはトラック7台分もの「ゴミ」が出たのだそうです ゜o゜; その中には、映画デビューした2歳以来の台本やスチールや衣装なども含まれていたのだとか。 客観的には映画史や芸能史の貴重な史料のはずですが、中村メイコさんは「美空ひばりと違って自分の歴史なんてたいしたことない」と考えて、全部捨ててしまったのだそうです。 とても謙虚な方で素敵だな、と感心する一方で、もったいない、という気がしなくもありません。 中村メイコ記念館とか建てて展示すればよかったのに、と思ったりもしましたが、きっとそういうのは中村メイコさんの趣味じゃないのでしょうね。 そんな中村メイコさん、もう80歳を過ぎていますが、こういうエピソードを聞くにつけ、生きているだけでも尊い存在なのだな、と改めて思ったりしました。 以上、中村メイコさんについてでした!.

次の

中村メイコが病気で余命わずか?旦那は誰?杉本哲太と険悪な仲?

神津カンナ

現在お年は81歳で、病気の噂があります。 また、ご家族にも旦那や義理の息子である杉本哲太さんなど 有名な方が多いです。 先日、リーディング公演を中山美穂さんと共演し、 現在も積極的に活動されていますが、一体、どんな人なのでしょうか? スポンサードリンク ばあちゃんの長生き 本名:神津 五月(こうづ さつき)81歳 職業:女優・歌手・タレント・声優 家族:神津 善行(夫) …作曲家 神津 カンナ(長女) …作家、エッセイスト、コメンテーター 神津 はづき(次女) …女優 神津 善之介(長男) …洋画家 杉本 哲太(はづきの夫)…俳優 こう並べてみてみると、 錚々たる顔ぶれに圧巻ですね。 とはいっても、失礼ですが私個人的に知っているのは、 杉本哲太さんくらいかなぁ? 旦那の善行さんはテレビで拝見したことはあります。 元々、作曲家ですが、早稲田大学で植物と音楽について研究したりもしているようです。 写真の右ですが、やさしそうな人ですね! 中村さんは、東京都出身で、2歳の時に映画デビューしました。 その後も、映画やラジオに多数出演されています。 七色の声を持つ天才子役として有名になり、 プライベートでは、美空ひばりさんや江利チエミさんと仲良しだったそうです。 しかし、二人とも若くして病死したため、とてもショックだったと語っています。 実は今、中村さん本人の病気疑惑が浮上しているようです。 中村さんが住んでいた戸建てを売り払って、マンションに引っ越し、いろいろと処分したことから そのような疑惑が出たそうです。 亡くなったのち、家族に迷惑をかけないためだとの推測です。 現在、御年81歳… そりゃー、終活してもおかしくない年齢ですよね? 一般家庭でもありそうですね。 スポンサードリンク ばあちゃんが片づけしだしたら、 「そろそろお迎え来たんじゃないの?」と勘ぐる家族… しかし、結構長生きするばあちゃん… 本人は今、特に、入院したとか、実際の病名が公表されたりしていませんし、 仕事もしっかりされているので、きっと元気だと私は思います。 いい役どころの哲太さん 杉本哲太さんは義理の息子にあたります。 奥様との出会いは、ドラマで共演した岩崎良美さんを杉本さんが食事に誘ったとき、 二人で会うことを躊躇した岩崎さんが、友人である神津はづきさんを連れて行ったことが馴れ初めだったそうです。 多くのテレビドラマや映画に出演されていますが、 やはり印象深いのは、NHK連続ドラマ「あまちゃん」で、 駅長の三枚目役を演じられたときですよね。 あまちゃんに出演していた頃は、外を歩いていると、 「わぁ~駅長さんだ!」 と、子どもたちから声をかけられていたようです。 しっかり者に見える、そんな杉本さんですが、 あまちゃん最後の打ち上げのあと、路上で寝てしまい、奥様から怒られたようです。 また、奥様にとったアンケートでは、 夫としては55点、半分最高で半分ダメダメ(笑) 父親として100点だそうです。 夫の不思議な行動については、パジャマの上着をズボンに入れる。 など、今でもラブラブな雰囲気を醸し出しておられました。 さらに、中村メイコさんからのアンケート結果も紹介されました。 杉本さんについては、以前からファンで、いい感じのアクターと思っていたそうです。 ぶっきらぼうなイメージでしたが、その通りの人だったとラブコールを送っています。 杉本さんは、中村メイコさんへ親孝行したい温泉に行こうと誘っているようですが、 ずっと断られていたことが気になっていたようです。 その理由について、美空ひばりと私は 他人と一緒の風呂に入ったことがないからいやだと告白されました。 他人には見せたくない!という一途な女心が素敵だなぁ~。 これを見ても、中村メイコさんはまだまだご健在なご様子です。 杉本さんは、12月8日~12月27日新国立劇場 「バグダッド動物園のベンガルタイガー」でトラ役をするそうです。 2003年湾岸戦争のとき、イラクのバグダッド動物園で、 檻の中にアメリカ人が酔っぱらって餌を上げようと手を入れたところ、咬まれてしまったため トラを射殺しました。 そのトラが幽霊となって出てくるという… なんとも面白そうな内容です。 機会があったら見てみよ~っと。 昔は夫に食べてしまいたいと言われていましたが、 今はトラにしか食べてもらえない妻がお送りしました プンプン スポンサードリンク -.

次の

神津カンナ

神津カンナ

子どものころ、作曲家の父(神津善行)がクラシックコンサートを開催する際、各地方にある電力各社のホールを利用することがたびたびあった。 その際に数多くの発電施設を視察した父は帰宅すると、エネルギーについて興味深い話をよく語り、家庭内で電気について話し合うことは自然な流れであった。 20代になって、父に同行して国内外のエネルギー施設を視察して回るようになる。 エネルギー関連の仕事に初めて携わったのは、家族で「日本はこれから原子力をどう展開するか」というテレビ番組に出演したときだった。 父、母(女優・中村メイコ)、妹(女優・神津はづき)と私が海外の原子力関連施設を視察し、最後にスタジオに集まって語り合うという企画だった。 いきなり「原子燃料サイクル」などといった難解な言葉に遭遇し、「分からない」だけに逆に興味を覚え、「面白い」と感じた。 東日本大震災後に情報発信し 語り合うことに意義がある 私が代表を務める『フォーラム・エネルギーを考える』(ETT)では、暮らしに欠かせないエネルギーについて、生活者の視点から考え、判断できるよう、みんなで学び合うというコンセプトのもとに活動を続けている。 初代代表は高原須美子さん(元経済企画庁長官)、2代目が温暖化問題の第一人者の茅陽一先生(東京大学名誉教授)。 私は2011年4月から3代目を引き継いだ。 就任したのはまさに福島第一原子力発電所の事故直後で、事前に考えていたコンセプトや活動計画も全て白紙となった。 世の中が一変した中で、エネルギー問題についてどう活動すべきか模索する日々が続いた。 緊急事態が発生したときこそ、さまざまな角度から客観的な情報をもとに、冷静に語り合うきっかけが必要だったが、当時、原子力反対の世論が高まり、電力会社の話を冷静に聞き入れてもらえず、情報発信を手控えたところも多かった。 ETTは、偏見を抱くことなく「暮らしの中のエネルギー」について語り合う場であり、もちろん原子力発電に対しても冷静に見ている。 しかし、震災以降、原発推進団体と誤解され、事務所には批判の電話が殺到した。 「今まで取り組んできた活動は間違っていたのではないか」とかなり落ち込んだが、昭和一桁生まれの両親は肝が据わっていた。 父から 「落ち込むときはまっすぐ落ち込め。 まっすぐ落ちれば小さな光、戻れる場所が分かる。 横木につかまったり、穴を掘って隠れたりすれば見えなくなるぞ」と言われ、「なるほど」と思った。 母も「天と地が逆転したような気持ちになっているかもしれない。 けれど、戦前・戦後で世の中が激変したように、ひっくり返るほどの変化は結構あるものよ。 だからといって全部が終わるわけではない。 人は生き続けるのよ」と言われ、しばらく頑張ってみようという気持ちになれた。 エネルギーを題材とした会合、講演があれば全国各地、どこでも足を運ぶ。 現地の方から「ここまで来て、話をしてくれてありがとう」と言われたときは、本当に続けてよかったと思う。 漢方薬のように、少しずつでも染み渡っていくような活動を続けていきたい。 科学的事実として頭では理解できるけれど、感情的に好きになれないということを「トランスサイエンス」という。 例えば、電力会社がいくら懸命に「原子力は安全に向けて、これだけの対策をやっています」と説明しても、聞く側が「その通り。 でもねえ…」と感じてしまえばそれで終わり。 人が"これは嫌だ"と思っていることに対して、そうではないと説得しようとしても難しい。 私のような立場の者は、 自分の考えに引き込むのではなく、「少しものの見方を変えてみませんか」というスタンスに終始している。 私はエネルギー問題に限らず、ものを書くときにいつも3つの視点を大切にしている。 鳥の目で俯瞰(ふかん)することを忘れない。 虫の目で精査することをいとわない。 魚の目で未知の切り口から考察することを心がける。 社章を外して一人の人間として 本音で語り合える関係性を築く 福島第一原子力発電所の事故からもうすぐ7年。 今は世の中の人もエネルギーを見る目が少し冷静になった。 原子力はマイナス面だけでなくプラス面も少しずつ評価されつつある。 また礼賛されてきた太陽光・風力発電の負の側面も見えてきた。 そして、発電してから家庭や事業所に届くまでの安定供給の難しさについても、少しずつ理解が広がってきたように思う。 そもそもバランス感覚に優れた日本人が原子力のことを冷静に考えられなくなったのは、原子力発電所の事故をリアルに見たことが大きい。 ただし、これを機にわれわれが原子力のことを真剣に考えるようになったことはプラスと捉えるべきだ。 福島第一原子力発電所の事故の現実から目を背けることなく、日本のエネルギーの将来に目を向ける時期にようやくたどり着いたような気がする。 エネルギー政策、適正な電源構成について、現実を直視した議論が大切である。 そのためにも電力会社には、外部の人に理解してもらう努力を継続していただきたい。 真の理解、共感を得るには、 ビジネスパーソンとして付き合うのではなく、社章を外して「一人の人間として」本音で語り合えるレベルの信頼関係ができるかどうかが重要だ。 私は、会社の看板というしがらみがないから自由に発言できる気軽さもあるが、一人の人間として信頼されるかどうか、いつもシビアに問われている緊張感を持っている。 コスト削減が課題となっている電力業界にそんな余裕はないかもしれないが、電力会社の人には、電気の品質さえ守っていれば理解されるというわけではないことを肝に銘じてほしい。 お客さまとの対話、管理間接部門で働いている人の貢献度なども含めて、電力会社の品質である。 何事も細部に宿るものがある。 そういう地道な日常業務にまでしっかりと目を向けてほしい。 資源小国の日本が抱えるエネルギー問題は難しい。 だが難解だからといって考えるのをやめたら、そこで負けである。 こんがらがった毛糸玉のような現状をどう解きほぐすか。 今後、日本のエネルギーのあるべき姿は私にも明快な解はないが、糸を解きほぐすことから手を引きたくないと思っている。 だから皆さんも、投げ出すことなく、考え続けてほしいと願っている。 文・構成/松本稔 撮影/加藤有紀.

次の