太平 サブロー シロー。 大平サブロー

太平サブロー・シロー

太平 サブロー シロー

さん(享年55)の急逝を受け9日深夜、漫才コンビ「」として漫才ブームの立役者の一人となった元相方の(55)が所属事務所を通じてコメントを発表した。 また同世代の芸人仲間からもお悔やみが寄せられた。 大平サブロー この度は大平シローさんの訃報に関して、慎んでご冥福をお祈り申し上げます。 何よりも55歳というあまりにも若い年齢でのことにショックを受け、まだ信じられない思いです。 僕が世に出ることができたのも、サブローシローというコンビがあったおかげで、ましてやシローさんという天才芸人と一緒にやれたことが今現在もこの世界で何とかやれることができることになっていると思います。 最近はデビュー36年ということもあり、過去の写真や映像を見ることが多く、どうしているんだろうなと思うことも多かっただけに今回の訃報に大変ショックを受けています。 (54) 中学の時から同じクラスでした。 生まれた所も泉大津で一緒によく遊んだ仲間です。 シローくんは俳優の道を行き、僕は漫才の道を行ったのですが、シローくんも漫才の道に来て、気がつけばよきライバルでした。 とても残念です。 ぼんちおさむ(59) 若くして亡くなり非常に残念です。 過去に一度入院していたこともあったのでもう少し自分の体を気遣っていればまだまだ元気でいれただろうと思うと…あまりにも若すぎて本当に悔やまれます。 里見まさと(59) 兄弟子、兄弟子と慕ってくれ、また共に漫才ブームを戦った仲間です。 力量あふれる男で、まだまだやり残した事があっただろうに本当に残念です。

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突然死・大平シロー破天荒人生

太平 サブロー シロー

さん(享年55)の急逝を受け9日深夜、漫才コンビ「」として漫才ブームの立役者の一人となった元相方の(55)が所属事務所を通じてコメントを発表した。 また同世代の芸人仲間からもお悔やみが寄せられた。 大平サブロー この度は大平シローさんの訃報に関して、慎んでご冥福をお祈り申し上げます。 何よりも55歳というあまりにも若い年齢でのことにショックを受け、まだ信じられない思いです。 僕が世に出ることができたのも、サブローシローというコンビがあったおかげで、ましてやシローさんという天才芸人と一緒にやれたことが今現在もこの世界で何とかやれることができることになっていると思います。 最近はデビュー36年ということもあり、過去の写真や映像を見ることが多く、どうしているんだろうなと思うことも多かっただけに今回の訃報に大変ショックを受けています。 (54) 中学の時から同じクラスでした。 生まれた所も泉大津で一緒によく遊んだ仲間です。 シローくんは俳優の道を行き、僕は漫才の道を行ったのですが、シローくんも漫才の道に来て、気がつけばよきライバルでした。 とても残念です。 ぼんちおさむ(59) 若くして亡くなり非常に残念です。 過去に一度入院していたこともあったのでもう少し自分の体を気遣っていればまだまだ元気でいれただろうと思うと…あまりにも若すぎて本当に悔やまれます。 里見まさと(59) 兄弟子、兄弟子と慕ってくれ、また共に漫才ブームを戦った仲間です。 力量あふれる男で、まだまだやり残した事があっただろうに本当に残念です。

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大平サブロー:シローへの思い語る「あの世でコンビやっても面白いかなあ」 会見全文

太平 サブロー シロー

来歴 [ ] 2人とも松竹芸能の養成所出身、トリオ・に師事し、に「太平サブロー・シロー」のコンビ名で所属の漫才コンビとしてからデビュー。 (それいけ! その後、の「」に出演したいがために吉本興業への移籍を希望する。 しかし、吉本と松竹の間には協定があり芸人の引き抜きは禁止されていたため、どうしようと悩んでいたところに、師匠のレツゴー三匹から破門された。 レツゴー三匹は実は2人の気持ちを知っており、彼らコンビがスムーズに吉本に行けるようにわざとキレた振りをして暴れて騒動を起こし、駆けつけた松竹芸能の幹部の目の前で破門を言い渡す芝居をした。 その際、レツゴー正児が自分たちのことを蹴りながらもウインクをしていることに気づき、このとき「師匠が自分たちのために芝居を打って出ているのだ」とシローは悟った。 従って、現在でも師匠・弟子としての関係は続いている。 1980年代のの波に乗り、人気漫才コンビとしての地位を確立した。 この頃、当時は無名だったの才能を見抜き、ラジオ番組のレギュラーを与える(後述)。 テンポの速い漫才で、大きな演芸のタイトルを数多く受賞し、は「このままでは、サブロー・シローやダウンタウンには勝てない」と評し、の解散の一因ともなった。 に吉本から独立して東京にを設立するが 、、お互いの仕事観等の意見対立から喧嘩別れする形でコンビを解消した。 その後、サブローのみに吉本に復帰し、のちにシローも吉本復帰を果たすが、確執からコンビが組めず、2012年2月9日にシローが永眠し、サブロー・シローの再結成は不可能となった。 年表 [ ] コンビ結成~コンビ解消(松竹芸能時代)• 共にのタレント養成所に入所、漫才トリオ・に師事。 、より・にて初舞台・デビュー。 、厳しいシローのツッコミに耐え切れずコンビ解消。 新コンビ時代• 5月、シローは解消直後の「浮世亭ジョージ・ケンジ」の浮世亭ジョージと新コンビ「浮世亭ジョージ・太平シロー」(ジョージ・シロー)を結成、結成直後から司会の「」()、司会の「」()に、副司会としてレギュラー出演するなど注目を浴びた。 、サブローは「鳳キング・ポーカー」の鳳ポーカーと新コンビ「さぶろう・ポーカー」(チンカラホイ)を結成するが、短期間でコンビ解消し失踪、ラーメン屋を経営。 再結成~コンビ解消(二度目)• 、シローがサブローの経営するラーメン屋を訪れ、コンビを再結成してに移籍。 「」(フジテレビ)に出演して一躍人気を得る。 、から独立したが、吉本の圧力がかかり仕事を干されるようになる。 、コンビ解消。 、シロー死去(享年55)。 芸風 [ ]• 共にを得意とし、それにちなんだネタを行ったりしていた。 特にサブローの、シローののものまねは2人を代表するネタのひとつで、「 ものまね漫才」の新たなジャンルを開拓した。 どちらがボケ・ツッコミというポジションの決まりは特になく、ネタの中で サブローがボケ・シローがツッコミの時もあれば、その逆の シローがボケ・サブローがツッコミの時もある。 ダウンタウンとのエピソード [ ] ダウンタウンの2人が下積み時代に世話になった先輩芸人は少ないが、唯一サブロー・シローの2人には可愛がられていた。 サブロー・シローがラジオ番組「」()のリニューアルに伴い番組を降板する事になり、番組側が新たな出演者を探している時、番組関係者にサブロー・シローは「 次はダウンタウンにやらしたってくれ」「 こいつら面白いからやらしてやってくれ」と彼らを薦め、ラジオ大阪も冒険だった(談)が、無名にも関わらず番組の新レギュラーとしてダウンタウンが出演する事になる。 これがダウンタウンにとって初のレギュラー番組となった。 後年、松本は「 ものすごくいい勉強になった、『』のフリートークの原形みたいなものだった」と振り返っている。 現在ではダウンタウンとサブロー・シローとの共演はないが、今もって若手の頃に良くしてもらったことを感謝している。 「」(36回)ではがサブローと偶然出会い、握手を交わしている。 「」ではサブローが松本からを紹介されたことなどを話している。 「」では松本・サブロー・オール巨人・島田紳助で会合が合ったことを明かしている。 ものまねのレパートリー [ ]• - サブローが、シローが• - サブローが巨人、シローが阪神• - サブローが、シローが• - サブローが、シローが• - サブローが、シローが• - サブローが人生幸朗、シローが生恵幸子• - サブローが今いくよ、シローが今くるよ• - サブローが長作、シローがじゅん(正児は) 受賞歴 [ ]• 1981年 最優秀賞• 1981年 新人奨励賞• 1981年 銀賞• 1982年 新人賞• 1982年 ホープ賞• 1983年 最優秀ホープ賞• 1984年 新人賞• 1985年 奨励賞• 1985年 名人賞• 1986年 大賞• 1986年 優秀賞• 1986年 奨励賞• 1986年 最優秀名人賞• 1986年 大衆演芸部門• 1987年 名人賞• 1988年 名人賞 過去の出演 [ ] テレビ [ ]• (毎日放送)• () - (1982年10月 - 1985年9月)• 愛・ラブ・ターゲット(CBCテレビ)• (関西テレビ)• (フジテレビ• (フジテレビ)• (フジテレビ)• (フジテレビ)• (フジテレビ)- 「ライオンのいただきますII」に改題されてから不定期出演• () - やすし・きよしの夏休みによる代役司会• (毎日放送) ラジオ [ ]• ミュージックビーコン MBSラジオ• サブロー・シローのABCサンデーベスト10()• サブロー・シローの土曜は特ダネーター ニッポン放送 CM [ ]• ブルーレット(冒頭のテロップには「サブロウ・シロウ」と表記されていた。 1983年)• (1989年)• なっとういち(、現在はから発売) レコード・CD [ ]• 稲妻ベイビー• 愛は続く 弟子 [ ]• 脚注 [ ] [].

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