履正 社 岡田 監督 経歴。 謹慎処分で変わった指導法。履正社と岡田監督「激動の30年史」|高校野球他|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva

阪神・矢野2軍監督の恩師が祝福手記 履正社高・岡田監督「負けん気もあった。頭もよかった」 (1/2ページ)

履正 社 岡田 監督 経歴

「練習の一番最初にやるのはノックからですし、打線は水ものというのは変わらず思っています。 ただ、指導していくうちに、やっぱり、打たな勝たれへんなと。 バッティングだけやってれば良いという考えは持っていないですけど、グラウンドも使えるようになった分、バッティングに時間を割くことができるようになったのはあると思います」 その成果は茨木のグラウンドに来てから現在まで4度の甲子園出場が如実に表していると言えるだろう。 今も、守備やバントに岡田監督の要求は細かいが、以前とは違う打撃力が積み重なったは、新しい時を迎えているのである。 岡田監督がバッティングを見る上で、ポイントに挙げる3つの要素があるという。 「トップの位置、方向性、後ろ手の押し込みです。 言えばね、今の子ってね、ピッチングマシンで打ってる弊害で、ピッチャーとバッターは直線で対戦しているはずなのに、ピッチャーがショートの位置にあるような打ち方をしているんですよね。 昔からセンター返しが基本っていうんですけど、方向性を投手の方に向けていくと率が高くなってくる。 センター方向に強い打球を打って行くためには後ろ手の押し込む力も必要になってくる。 バッティングは前の手でリードしなくちゃいけないっていいますけど、インサイドから後ろ手を押し込まないと、力負けするし、打球は飛ばないんです。 」 「プロに行った選手たちがそうなんですけど、彼らが1、2年生のころ、土井健大(巨人)だと左方向、T-岡田だと右方向、山田(ヤクルト)でも左方向の打球が多かったんですけど、3年生になってくると、逆方向にホームランを打てるようになってくる。 そこが僕の中では成長の目安にしているんです。 それが出来て、プロに行けるのかな、と。 トップの位置、それにつながってくる下半身の割れ、方向性、後ろの手の押し。 これは言いますね」。 さらに、掘り下げてみよう。 まず、トップの位置は一定であるべきという岡田監督の持論はどうなのか。 「構えは100人いたら、100人違っていてもいいと思います。 でも、トップの位置は一緒だと選手に言っているんですね。 トップの位置というのは、『いつでもいらっしゃい、いつでもバットを出せますよ』って状態のこと。 ウチは準備のことをよくいうのですが、野球は準備・予約のできるスポーツ。 トップを作るというのは準備するということなんです。 いつでも打てますよっていう準備の段階なので、トップをいかに作るかは重要なことではないでしょうか」 トップを作れば、当然、踏み出す前足との距離感も重要である。 トップを作ったとしても、体重移動と同時に、距離が縮まると突っ込むし、空いてしまうと後ろ残りになる。 トップを作るのと「割れ」は相関している。 「グリップの位置と前足との距離をよく言いますね。 グリップの位置っていうのは、一番肩に力が入らない、傘を指すくらいの位置に来るのがベストで、ステップして見逃した時に、距離が取れているかどうかが重要になってきます。 悪い例は、ステップした時に、グリップも一緒に出てくること。 これはアカンと。 足は出ていくけど、グリップを下げるんでもなく、置いていてもいいから、この距離がしっかり取れるのが理想やということです」 氏原 英明• 生年月日:1977年• 出身地:ブラジルサンパウロで生まれる• フリー活動を開始。 『週刊ベースボール』、『ベースボールクリニック』(ベースボールマガジン社)、『アマチュア野球』(日刊スポーツ出版社)『ホームラン』(廣済堂出版)、『Number』(文藝春秋)、『Sportiva』 集英社)、『』『』などに寄稿。 フリーライターとしての地位を固める。

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【履正社高・岡田監督手記】「気持ち一つで人は変われる」哲人から学ばせてもらった (1/2ページ)

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26日のDeNA戦の試合前、履正社高時代の恩師・岡田監督(右)に見守られながら、山田哲は汗を流した ヤクルト・山田哲人内野手(26)が30本塁打、30盗塁を達成し、履正社高時代の恩師、岡田龍生監督(57)が31日、サンケイスポーツに手記を寄せた。 高校時代に高熱に見舞われながらも出場したエピソードや「フォーティー・フォーティーを目指せ!」と激励のメッセージも贈った。 (取材構成・横山尚杜) 3度目の「30本塁打・30盗塁」達成おめでとう。 3度目のトリプルスリー達成も間近ですね。 1度達成するだけでも素晴らしいことだし、3度目も目前に迫っているとは、スーパースターになりましたね。 山田は高3でプロを意識するようになり『プロにいったらトリプルスリーを目指せ』と話したこともあります。 中学の頃から足が速くて、スピードに関しては先天的な高い能力を持っていました。 プロでも試合に出続けることができたら30盗塁は狙える。 打撃が向上すれば打率も…と考えていました。 本塁打は難しいかな、と思っていましたが、プロに入って大きく成長したと思います。 テレビ中継だけで判断するのは難しいですが、今季はしっかり踏み込んで打っていて、状況次第で右方向に打ち返すこともできている。 盗塁に関しても、大事な場面で1球目でスタートを切っている。 成功率も高いし、緊迫した場面で決められるのはすごいですね。

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2019履正社高校野球部メンバー!注目選手や岡田龍生監督の実績や手腕についても

履正 社 岡田 監督 経歴

経歴 [ ] プロ入り前 [ ] 幼稚園の頃から野球を始めると、小学生時代に潮見スターズ(軟式)、中学生時代にの兵庫ミラクルボーイズでプレー。 中学校からの卒業を機に、へ進学した。 地元(兵庫県)を離れてまでにある同校へ進んだのは、同校硬式野球部のOBである6歳上の兄が、3年生だったの夏にの決勝でに敗れた悔しさを晴らそうとしたことによる。 履正社高校では、対外試合で通算43本塁打を放つなど、強打の捕手として活躍。 「浪速の」と呼ばれた1年先輩のにちなんで、「浪速の」と呼ばれた。 2年生だった春のでは、兄が在学中に経験できなかったでの全国大会出場も果たしている。 で、岡田の所属するから5巡目で指名。 この年の高校生ドラフト会議では全12球団で最後(33番目)の指名になったが、契約金3,000万円、年俸480万円(金額は推定)という条件で入団した。 背番号は 69。 オリックス時代 [ ] には、当時の二軍チームだったの一員として、公式戦15試合に出場。 しかし、通算18打席で1本の安打も放てず、捕手としてマスクを被ったのはわずか2試合であった。 には、サーパスの一員として、ウエスタン・リーグ公式戦11試合に出場。 公式戦初安打を放つなど、打率. 250(12打数3安打)を記録した。 もっとも、この年に高卒で入団したがサーパスの正捕手として定着した影響で、捕手登録ながらとして3試合に出場。 結局、捕手としての起用は1試合にとどまった。 には、二軍の再編に伴うチーム名の改称に伴って、オリックス・バファローズのユニフォームを初めて着用。 ウエスタン・リーグ公式戦34試合に出場したほか、伊藤が故障で戦線を離脱したことを背景に、12試合でマスクを被った。 打撃面では打率. 239(46打数11安打)を記録したものの、伊藤に代わる二軍の正捕手争いでは、の後塵を拝した。 には、ウエスタン・リーグ公式戦90試合に出場。 リーグの最終へわずかに届かなかったものの、打率. 255(251打数64安打)、4本塁打と打撃面で進境を見せた。 もっとも、捕手としての起用は2試合のみで、一塁手として82試合に出場。 にで催されたにもウエスタンリーグ選抜の「7番・一塁手」としてスタメンに起用されていた が、一軍公式戦への出場機会がないまま、シーズン終了後のに球団からを受けた。 巨人時代 [ ] に、との間で、としての契約を締結した。 背番号は 023。 巨人の二軍監督に就任したばかりのから、ひたむきな姿勢と元気の良さを買われての入団だった。 には、公式戦3試合に出場。 一塁手として2試合に出場したものの、捕手として起用される機会はなく、通算で1打数無安打に終わった。 に2年連続の戦力外通告を受けたことを機に、いったん現役を引退。 からへ転身した。 しかし、現役生活への未練を断ち切れなかったことから、のシーズン終了後に退団した。 巨人退団後 [ ] にので現役に復帰したが、この年を最後に硬式野球でのプレーを断念した。 土井が後に述懐したところによれば、「肉離れを起こしたことで、野球選手として初めて絶望感を味わった」という。 ミキハウスREDSを退部した2014年の末には、学生野球資格の回復に向けて講習会を受講。 付でから資格の回復を認定された ため、同協会に加盟する大学・高校の硬式野球部での指導が可能になった。 その一方で、同年にはへ入社。 の強豪チームである野球部で、まで捕手や内野手としてプレーを続けた。 学生野球資格を回復したことに加えて、大阪シティ信用金庫での在職中にの関係者と出会ったことを機に、から同校硬式野球部のコーチへ就任。 からは、同部の監督を務めている。 詳細情報 [ ] 年度別打撃成績 [ ]• 一軍公式戦出場無し 背番号 [ ]• 69 (2007年 - 2010年)• 023 (2011年)•

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