ベンチャーズ ダイヤモンド ヘッド。 ダイヤモンドヘッド登山 初心者ガイド!【行き方・服装・時間・周辺情報など】

楽天ブックス: EMIプレミアム・ツイン・ベスト::ダイアモンド・ヘッド〜ベンチャーズ・ベスト

ベンチャーズ ダイヤモンド ヘッド

1967年時のメンバー。 左からボブ・ボーグル、ノーキー・エドワーズ、メル・テイラー、ドン・ウィルソン 基本情報 出身地 ジャンル 活動期間 - 公式サイト メンバー () () ( リズムギター、ベース、) (、リードギター) 旧メンバー (ベース、リードギター) (リードギター、ベース) (リードギター、ベース) (ドラム) (ドラム) (ドラム) (ドラム) (キーボード) (キーボード) (キーボード) () ザ・ベンチャーズ(The Ventures) は、の・である。 にとにより結成され、メンバーチェンジを重ねつつ現在も活動中である。 故郷アメリカではサーフ・ギター・サウンドの元祖とされ、またにおいてはと並び、日本のやに多大な影響を与えたバンドとされている。 には入りを果たした。 代表曲には「」「」「」「」「」「ハワイ・ファイブ・オー」など、多くの既製曲を中心としたものが有名である。 ちなみにベンチャーズは、他人の楽曲を演奏することをカバーとは呼んでいない。 来歴 [ ] 1950年代後半 - 1960年代 [ ] 、ドン・ウィルソンとボブ・ボーグルのギタリスト2人により結成。 結成時は「ジ・インパクツ」を経て「ヴァーサトーンズ」と名乗っていたが、すでに使われていたため、ドンの母親であるジョシーからの提案によって「ザ・ベンチャーズ」と名乗るようになる。 当初の演奏スタイルは、リードギターとリズムギターを曲によって交代するギターデュオで、ドラム、ベースなどはいなかった。 結成前、ドンは自動車のセールスマン、ボブは昼間に建築業をしていた。 ボブがドンに仕事を紹介し、一緒に仕事をするようになり、夜にはナイトクラブに出演してキャリアを積み、音楽関係の人脈を築き上げていく。 またこの頃から既に社製の、を主に使用していた。 後にベーシストにノーキー・エドワーズ、ドラマーにジョージ・バビットをメンバーとして迎え入れた。 しかし、ジョージは当時未成年でナイトクラブでの演奏が許可されずデビュー前に脱退し、後任としてホーウィー・ジョンソンが加入する。 続く発売の「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」でドラムは、スキップ・ムーアというクラブミュージシャンが担当し、ノーキーがベースを弾いている。 地元シアトルのラジオ局がニュース番組のテーマ曲として起用したことから火が付き、米メジャーデビューを果たす。 瞬く間に誌のシングル・チャート第2位を記録した。 「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」は、メジャーレーベルのドルトン・レコードから再発売されている。 1962年、ホーウィー・ジョンソンが交通事故に遭い、後遺症が残ったことからツアー同行が難しくなったため(損傷が原因と言われている)、ジョンソンの脱退後、後任ドラマーにメル・テイラーを迎えた。 1960年代全盛期の4人が揃うことになる。 また、メルの加入以前にリードギター担当がボブからノーキーに交代しており、それは元バック・オウエンスのバンドメンバーとして、既にギタリストとしてのスタイルを完成させていたノーキーに任せた方がバンドの将来にもいいだろうとのボブの判断による交代で、ボブ自身もベースの楽しさ、自由さに開眼したことも理由に挙げていた。 ノーキーも後のインタビューで、「ボブがリードギターを担当しているのはせいぜい数曲だろう」と発言している。 また、スタジオ・ミュージシャン時代のもレコーディングに参加し、「テルスター」でオルガン を、「朝日のあたる家」ではオルガン・ソロを、「十番街の殺人」ではサックスソロ(アルトサックスの音をレズリースピーカーから出す手法)を演奏した。 セッション・ドラマーのは自分が演奏したと自伝の中で主張しているが、それは同タイトルのアルバム収録曲の方である。 初来日は1962年5月、ドンとボブの2人はや、、、をツアーした後に来日し、東芝音楽工業(のちに)のイベントに参加した。 ウッドベースとドラムは日本人が担当し、ボブの回想によると「別に悪いミュージシャンではなかったが、ビートの感覚が違っていた」と語っている。 この時米軍基地への慰問演奏なども行った記録が残っている。 なお、同時に来日したのは(後に共作のアルバムをリリースする)、ジョー・アン・キャンベルであった。 ベンチャーズが日本で人気が出たのは2回目の来日(1月、などとのパッケージツアー)で、ドン、ボブ、ノーキー、メルの4人で行った日本公演からであった。 彼らは専用ギターである、のギターをにプラグ・インする事によって生み出されるラウドかつ強烈なサウンドで、たちまち日本の若者たちをとりこにし、日本に於いて一大を巻き起こした。 特に、ベンチャー歌謡という名称で知られる和泉雅子、山内賢の「二人の銀座」、渚ゆう子「京都の恋」、欧陽菲菲「雨の御堂筋」、渚ゆう子「京都慕情」などはベンチャーズの曲である。 京都慕情は日本語で歌うことを前提として作曲されている。 には、の「」のカバーを日本で発表 してヒットしたことをきっかけに、そしてにノーキー・エドワーズが一度脱退し、後任ギタリストにジェリー・マギーの加入後は1960年代後半から1970年代前半にかけて日本を意識した曲を作るようになり、日本の作詞家が歌詞を付けて発表されたのがきっかけで、の作曲家としても注目されるようになる。 「アメリカ人にこんな日本的な曲を書けるのか」と当時の日本の音楽評論家たちを唸らせた。 特に「京都の恋」は、() 企画賞を受賞している。 1970年代 - 1990年代 [ ] にジェリー・マギーとメル・テイラーの脱退後、ノーキー・エドワーズが復帰し、メルの後任にはSHANGOのジョー・バリルが加入した。 脱退したジェリーとメルは新たなバンド「メル・テイラー&ザ・ダイナミックス」を結成し、2005年よりベンチャーズの一員となったボブ・スポルディングも同バンドにてリズムギターを担当しており、翌に初来日を果たした。 にジョー・バリル脱退 解雇 により、メル・テイラー&ザ・ダイナミックス解散を経てメル・テイラーが復帰し、ドン、ボブ、ノーキー、メルの4人が再び勢揃いする。 その後、ジェリー・マギーも復帰し、にボブ・ボーグルが入院したため、その代役としてリードギタリストであるジェリーとノーキーが交互にツアーでベースを担当していた。 その後、ノーキーがソロ活動等のために再び脱退し、以降はジェリーがリードギターに専念するようになる。 大晦日には、ドン、ボブ、ジェリー、メルの4人でに出場し、10番街の殺人、ダイアモンド・ヘッド、パイプラインの3曲を演奏した。 夏の来日ツアー中にメル・テイラーが体調を崩しアメリカへ緊急帰国したが、それから僅か10日後に他界。 このメルの訃報を受け、後任には彼の息子リオン・テイラーの加入が決定した。 以後、現在も在籍しドラマーとして活動を続けている。 赤坂BLITZにて開催された「永遠のギターキッズ」にて、加山雄三、ハイパーランチャーズ、Dr. K Project、中シゲヲと共演。 ドン、ボブ、ノーキー、ジェリー、リオンが同じ舞台に立ち、歴史的共演を行った。 以降はジェリーが夏、ノーキーがスペシャルゲストとして冬にそれぞれ日本公演でリードギターを演奏するようになり、ノーキーが来日ツアーを引退する2016年までほぼ毎年夏期と冬期両方に来日していた。 2000年代 - 2010年代 [ ] 、 日米交流150周年記念外務大臣賞を受賞 し、ドン、ボブ、ノーキーが授賞式に参加。 にボブ・ボーグルが体調悪化によりツアー参加が難しくなったため、ボブ・スポルディング 元メル・テイラー&ザ・ダイナミックスのリズムギタリスト)がサポートメンバーとして加入した。 、彼らの最初の大ヒット曲である「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」がの殿堂入りを果たし 、には The Rock and Roll Hall of Fame and Museum 入りを果たした。 ドン、ノーキー、リオン、ボブ・スポルディング、ジョン・ダリル(ジェリー・マギーの代理として出席)がニューヨーク・ウォルドルフ・アストリアホテルで開催された授賞式に出演し、プレゼンターとしてベンチャーズの影響を受けていたことを公言したが登場。 フォガティの紹介に続いてベンチャーズが登場し、「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」を基本編成の4人で、「ハワイ・ファイブ・オー」をブラスセクション付きで演奏した。 に結成50周年を迎え、同年6月14日にボブ・ボーグルが他界。 以後はボブ・スポルディングが後任として正式メンバーとなった。 春のにてメンバーのうち5人がを受章。 には結成55周年を迎えたが、翌度の来日ツアーをもって、結成メンバーであるドン・ウィルソンがツアーからの引退を正式に表明し、同年のツアー最終日において、からドンに代わりボブ・スポルディングがリズムギターを担当し、ボブの息子であるイアン・スポルディングをベーシストに迎え活動していくことが発表された。 また、同年からボブとイアンのスポルディング親子にリオン・テイラー、そして、前年からベンチャーズのサポートメンバーとしてアメリカ国内で活動していたベーシスト、ルーク・グリフィンによるニューバンド「V-2」が活動を開始。 、前年のドン・ウィルソンのツアー引退に続き、ノーキー・エドワーズも自身の高齢と体力低下により、同年の来日ツアーが最後の来日となることを表明した。 8月の来日ツアー中にジェリー・マギーが入院。 その連絡を受け、「V-2」のメンバーであるルーク・グリフィンが急遽来日し、ベースで7公演ほど残りの日本公演に初参加したことで、結成55周年ジャパンツアーを無事終えた。 にドン、ノーキーに続き、ジェリーも自身の高齢化のためツアー引退を発表。 それに伴い、同年以降の来日公演は、昨年来日しジェリーの代わりに日本ツアーに初参加したベーシストのルークを正式メンバーに迎え、前述の通りである「V-2」のメンバーによる新体制ベンチャーズとして、7月より来日ツアーが新たに開始された。 同年3月12日にノーキー・エドワーズが他界。 に結成60周年を迎えた が、同年10月12日にジェリー・マギーが日本で他界(メンバー欄で後述)。 現在も世界各国にファンがおり(ただし、やを生んだイギリスや祖国アメリカではあまり多くないが、、、がベンチャーズをリスペクトしていることは有名。 )、コピーバンドも多数存在する。 特に日本では老若男女問わず存在し、さらには子供のコピーバンドまでいるほどである。 これは、日本との特別な関係や与えた影響という観点から、日本の音楽史になくてはならない存在とされる。 彼らがアメリカ本国で一番人気があったのは1960年代までだが、では長く人気を保ち続けている。 米国のバンドではあるものの、インストゥルメンタルグループであり言語の壁を乗り越えその明快な楽曲が受け入れられ、米国以上に日本のエレキギターブームやポップスシーンに影響を及ぼした。 日本で発表されたレコードなどの総売上は4000万枚を超える。 現在も定期的に日本公演を行っている。 ステージは2部構成のプログラム進行を採り、アンコールで必ず「キャラバン」が演奏される。 さらに長尺のドラムソロと、ドラムスティックでベースの弦を叩くパフォーマンスが行われる。 メンバー [ ]• Don Wilson - :出身。 リズムギター(結成メンバー)。 ベンチャーズのリーダーである。 来日を最後にツアー参加を引退。 Leon Taylor - :出身。 5代目ドラム。 父親であるメルが急逝した、における9月16日のメル・テイラー追悼公演で後任として紹介され、数曲披露。 以降、父の後任として正式メンバーとなる。 ちなみにメルが他界した後、96年のツアーでのメインドラムはもと、(「」)のメンバー、ブルース・ゲイリーが急遽務めた。 後に2人ともメル・テイラー追悼アルバム「ワイルド・アゲインII」に参加している。 にジェリー・マギーのツアー引退後、ベンチャーズの現役来日ツアーメンバーとしては在籍歴が最長となった。 Bob Spalding - :出身。 4代目ベース、4代目リードギター、2代目リズムギター。 よりスタジオ録音に参加していたことから、加入年も1981年として扱われている。 1月の日本公演以降、腰痛が悪化し来日が困難となったボブ・ボーグルの代役としてツアーに参加し、6月にボーグルが死去して以降は正式メンバーとなる。 作曲のほかアレンジなどでも現在のベンチャーズに多大な貢献をしており、"5人目のベンチャーズ"と呼ばれている。 にツアーから引退したドン・ウィルソンに代わりリズムギターを担当するが、にジェリー・マギーもツアー引退を発表し、後任リードギターの座に就いた。 Ian Spalding - :カリフォルニア州出身。 5代目ベース、3代目リズムギター。 ボブ・スポルディングの息子であり、父の影響で9歳からギターを始め、高校時代にはバンド活動を行い、2枚のアルバムをリリースしている。 からベンチャーズと活動を共にし、レコーディングではリズムギター、ベース、キーボードを担当している。 にドン・ウィルソンがツアーから引退後、ベーシストとして正式メンバーとなり、にはジェリー・マギーのツアー引退により、リズムギターへ転向。 Luke Griffin - :出身。 6代目ベース。 頃よりベンチャーズのサポートメンバーとしてアメリカ国内のライヴに参加していた。 それ以前にはのバンドで音楽活動を行っていたが、ボブ&イアン・スポルディングの親子、リオン・テイラーらと結成したバンド「V-2」のメンバーとして携わって以降、ベンチャーズのメンバーと知りあう仲になった。 夏の日本ツアーでジェリー・マギーの入院報告を受け急遽来日し、ベースで日本公演初参加を経て、翌にジェリー・マギーのツアー引退発表後、ボブ・スポルディングがリードギター、息子のイアンがリズムギターへ転向する事になり、ベーシストとして正式加入することが決定した。 また、2018年以降の来日ツアーで2曲ほどリードギターも担当。 旧メンバー• Bob Bogle - : ワグナー出身。 初代リードギター(結成メンバー)、2代目ベース。 以降、腰痛療養のため日本ツアーには不参加(ただしレコーディングだけは参加していた)。 のの発病から12年に渡る闘病生活の末、6月に75歳で死去。 Nokie Edwards - :ラホマ出身。 初代ベース、2代目リードギター。 張力の弱い細い「ライト・ゲージ弦」を考案 し、が一般的なテクニックとして世界中で使用されるようになった功労者。 頃、当初は「」などのレコーディングにベースで参加していたが、後にベーシストに転向したボブ・ボーグルに代わりリードギターに専念する。 に一度脱退するがに復帰、まで活躍する。 その後再度脱退し、ソロ活動のみを行っていた時期もあったが、以降、レコーディングや毎年1月の日本公演などにリード・ギター(ベンチャーズ・オリジナルメンバー)として参加し続けている。 夏の日本公演ではベンチャーズと行動を別にしており、冬の公演に参加してもスペシャルゲストとして紹介されているが、公式ホームページではメンバーとして掲載されている。 ドン・ウィルソンに続き、の来日を最後にツアーを引退するが、3月、前年に受けた臀部手術後の細菌感染合併症のため82歳で死去。 Gerry McGee - :出身。 3代目リードギター、3代目ベース。 ノーキー・エドワーズの後任としてに加入するが、に一度脱退。 その後、メル・テイラーやボブ・スポルディングらと共に「メル・テイラー&ザ・ダイナミックス」を結成し解散後、1980年代前半頃に復帰し、の日本公演ではノーキーと一緒にの演奏をしたり、入院したボブに代わってノーキーと交代でベースを演奏していたこともある。 その後、ノーキーが脱退して以降は夏の日本公演で毎年リードギターを担当しており、ベンチャーズのメンバーとしての来日回数はノーキーよりも多い。 また、からはノーキーに代わり冬のツアーにも参加。 夏の来日ツアー中に体調不良で入院し、高齢による体力の衰えを理由に、翌年以降のツアーに参加しないことが発表された。 その後、に自身のソロツアー公演のため2年ぶりに来日したが、そのツアー最中にで倒れ内の病院に緊急搬送され、それから僅か4日後に81歳で逝去。 Mel Taylor - :ブルックリン出身。 3代目ドラマーで、リオン・テイラーの父である。 にソロ活動「メル・テイラー&ザ・ダイナミックス」結成のため脱退したが、後半頃再加入した。 の日本公演中に体調が悪化し、検査の結果が発覚したためアメリカへ緊急帰国したが、帰国から僅か10日後に62歳で死去する。 George T. Babbitt, Jr. - :出身。 初代ドラマー。 未成年であったため、クラブなどでの活動が出来ずに脱退。 その後、の大将になる。 3月1日には ()とともに、結成以来約40年ぶりにベンチャーズの結成メンバーであるドン・ウィルソン、ボブ・ボーグルと再び共演した。 Howie Johnson - :出身。 初代2代目ドラマー。 在籍中、交通事故に遭い後遺症が残ったことからツアーへの参加が難しくなったため、に脱退。 その後は音楽ビジネスから身を退いていたが、に死去。 Joe Barile 本名バリル・ギオパン・デュセッペ。 7月 - :出身、幼少期にアメリカへ移住。 シャンゴ Shango というバンドで活動した後、からの誘いを蹴って4代目ドラマーとしてから来日ツアー終了まで在籍。 1978年の来日ツアー中に使用が発覚、逮捕される(ただし不起訴処分となる)。 このためイメージ悪化を避けたかったメンバーは彼を解雇。 その後は表立った音楽活動からは遠ざかっていたが、にリリースしたベンチャーズのCDアルバム『ふたりの海岸物語 play SEASIDE STORY 』収録曲「ウェイクアップ・ドリーム」などにで参加しており、以後も時々レコーディングに参加している。 John Durrill - :ヒューストン出身。 元ファイヴ・アメリカンズのメンバー。 の「ロックの殿堂」授賞式に、不参加だったジェリー・マギーの代理として久々にベンチャーズと合流した。 Bif Vincent :4代目キーボード奏者としてから翌まで在籍。 離脱後はスタジオミュージシャン、編曲家、レコーディングエンジニアなどで活躍。 その後もベンチャーズと交流があり、ビフが経営するレコーディング・スタジオでベンチャーズはレコーディングなどを行っている。 Dave Carr - :、出身、元のキーボーディスト。 3代目キーボード奏者としてから翌まで参加し、1974年にはメンバーとして来日。 その後も作曲家、編曲家、プロデューサーとして活躍する一方ベンチャーズとの交流は続き、レコーディングにも度々参加していたが、にによって死去。 Sandy Lee 生没年不詳 :ジェリー・マギーと共にから参加した初の女性メンバーで初代キーボーディスト。 1968年度の来日ツアーにも同行していたが、健康上の理由によりベンチャーズを脱退後、に死去。 後に、在籍中ドラッグ不法所持が発覚したため解雇されていたことが明らかになった。 この他、半ばころには、スーザン・シュレイバー、リーシャ・キャリー、ジョネル・カレンダーといった女性シンガーがツアーに参加したこともある。 また、のライヴではレア・アースやナイト・シティのギタリストだったポール・ウォーレンがボブ・ボーグルの代理で一時的にベースを弾いている。 メンバー変遷 [ ] サウンド [ ] レコーディングでは無名のスタジオ・ミュージシャンが多数加わり、例えば「テルスター」ではキーボードが主要メロディーを取り、「ダイヤモンド・ヘッド」、「十番街の殺人」ではアルト・サックスにやを介して後のを連想させる音色に似たサウンドを加えたり、曲によっては女声コーラスを導入したり、ブラスセクションやオーケストラを起用するなど、これらをサウンド面の主要アクセントにした。 さらにはギターよりキーボード(当時ファルフィッサ製電子オルガンなどが使われていた)をリードパートに多用した曲が多く、その後正式にキーボーディストをメンバーとして加え5人編成となった時期もある (5人体制時期はから前半およびからである)。 ステージ上ではリードギターとベースが途中で交代する場面もある(最初期の演奏ではボブ・ボーグルだけでなくドン・ウィルソンがリードギターを担当するなど、現在と比べて演奏面やサウンド面も大きく異なっている)。 最初のヒットシングルとなった「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」は、が自身で編み出した「ギャロッピング奏法」をベース、メロディ、コードバッキングに分解し、それにドラムパートを加えのリズムに乗せるといった初期のベンチャーズの基本的な演奏スタイルとなっている。 アンプのリヴァーブをフルにし低音弦をスライドさせて、トレモロ・ピッキングを行う 「トレモロ・グリスダウン」奏法(日本では一般的に 「テケテケ」と呼ばれる。 しかし開祖はキング・オブ・サーフ・ギターと謳われるであり、ベンチャーズが編み出したわけではない)と共に、「ダイアモンド・ヘッド」、「パイプライン」(これを題材にしたのが映画化もされた原作の『』)、「10番街の殺人」、「」、「キャラバン」など、数々の名演を生み出した。 ベンチャーズは最初にを演奏したバンドと言われている。 2代目のリード・ギタリスト(初期はベーシスト)であるノーキー・エドワーズは2回目の来日公演 1月 で「の王様」と紹介され、天才的で卓越したテクニックは多くの日本人ギタリスト達に影響を与えた。 彼はカントリー・ピッキング(親指にピックを固定し、人差し指や中指を同時に利用する多指奏法)を基本としたテクニックで、をアクセントとして使用し、ギターの高出力ピックアップを活かしたラウドで金属的なサウンドを作り出していた。 特に1965年7月来日時の録音を収めた赤盤ライヴの収録の「クルーエル・シー」、「ペネトレーション」、「ドライヴィング・ギター」、「キャラバン」はその特徴が顕著である。 その後、彼は1980年代にベンチャーズを脱退(2度目の脱退)し、ソロ活動が中心となっているが、公式ホームページでは脱退扱いにはなっておらず、実際本国では何度か、ノーキーがベンチャーズに参加して活動している。 近年は、オリジナルモデルのギターを用い、よりカントリースタイルを意識した演奏となっており音色もソフトなものとなっている。 1968年にノーキーが1度目の脱退をし、3代目リード・ギタリストとして加入したのがジェリー・マギーである。 ジェリーは、、デラニー&ボニー、など多数のやなどで経験を積んで来たスタジオ・ミュージシャンである。 ジェリーのサムピックを使用した奏法(ノーキーも1972年に復帰したときからレコーディングやステージでサムピックを使用するようになった)や彼の出身地ルイジアナをルーツとした色の強いソウルフルなサウンドが特徴的である。 「朝日のあたる家」は、ベンチャーズが1960年代からもともとレパートリーとしているが、1980年代にジェリーが再加入した後のステージでは彼独特のアドリブによるブルージーなサウンドが、新たな聞かせどころとなっている。 近年は、中音域をブーストさせる回路付きのフェンダー・ストラトキャスターを用いており、曲によってブーストのかかり具合を微調整して、音色にバリエーションを持たせる工夫をしている。 ディスコグラフィー [ ]• Walk Don't Run(1960年11月)• The Ventures(1961年6月)• Another Smash(1961年9月)• The Colorful Ventures(1961年10月)• Twist With The Ventures(1962年1月)• Twist Party Vol. 2(1962年5月)• Mashed Potatoes And Gravy(1962年8月)• Going To The Ventures Dance Party(1962年11月)• Surfing(1963年5月)• Play The Country Classics(1963年6月)• Let's Go(1963年8月)• The Ventures in Space(1964年1月)• The Fabulous Ventures(1964年6月)• Walk Don't Run Vol. 2(1964年10月)• Knock Me Out! (1965年2月)• The Ventures On Stage(1965年6月)• Ventures in Japan(1965年8月)• A Go Go(1965年9月)• The Ventures Christmas Album(1965年11月)• Where The Action Is(1966年2月)• Batman Theme(1966年3月)• Go With The Ventures(1966年6月)• Wild Things(1966年9月)• The Ventures On Stage Encore!(1967年1月)• Guitar Freak Out(1967年2月)• Super Psychedelics(1967年6月)• Golden Greats BY THE VENTURES(1967年9月)• The Ventures Live Again!(1968年1月)• Flights Of Fantasy(1968年5月)• The Horse(1968年8月)• The Ventures in TOKYO'68(1968年12月)• Underground Fire(1969年1月)• Hawaii Five-0(1969年5月)• Swamp Rock(1969年12月)• The Ventures 10th Anniversary Album(1970年3月)• Live! The Ventures(1970年10月)• New Testament(1971年4月)• The Ventures on Stage '71(1971年11月)• Theme From Shaft(1972年1月)• Joy-Ventures Play The Classics(1972年3月)• Rock And Roll Forever(1972年9月)• The Ventures on Stage '72(1972年11月)• The Ventures The Jim Croce Song Book(1974年4月)• The Ventures Play The Carpenters(1974年6月)• The Ventures on Stage '74(1974年10月)• インストルメンタル版が「Hollywood Metal Dinamic Sound 3000」という題名で海外で発売される。 「裕也 Meets The Venures」のインストルメンタル版も収録。 国内未発売。 音質にこだわった最高のライヴアルバムと評されている。 THEMES(1977年)• The Ventures on Stage '77(1977年11月)• Surfing U. '78(1978年)• The Ventures on Stage '78(1978年10月)• Latin Album(1979年3月)• 60's Pop(1981年3月)• The Ventures Super Live'80(1980年9月)• The Ventures Greatest Hits(1980年)• Live in L. (1981年)• NASA 25th Anniversary Album 1983年6月• ORANGE SISTERS with The Ventures 1983年• PLAY SEASIDE STORY(1991年6月14日)• プレイ・大ヒット決定盤 1993年7月• Wild Again II 1997年• ドンのヴォーカルも収録(京都慕情のクリスマス版)• Surfin To Baja(2003年)• ROCKY! THE VENTURES! (2007年)• 未発表曲も収録。 2枚目に旧メンバーによるベスト盤付属。 シングル [ ]• 急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)(1960年) - 全米2位• パーフィディア(1960年) - 全米15位• 木の葉の子守唄(1961年) - 全米69位• ラム・バンク・シャッシュ(1961年) - 全米29位• ブルー・ムーン(1961年) - 全米54位• クルーエル・シー(1964年) - 日本のみA面で、アメリカでは「急がば廻れ '64」のB面。 急がば廻れ '64(ウォーク・ドント・ラン '64)(1964年) - 全米8位• 10番街の殺人(1964年) - 全米35位• ダイアモンド・ヘッド(1965年) - 全米70位という結果だったが、日本ではベンチャーズ曲の中で最も人気の高い曲。 パイプライン(1965年) - 日本のみのシングルカットで、アメリカではシングル未発売。 キャラバン(1965年) - 日本のみのシングルカットで、アメリカではシングル未発売。 秘密謀報員(1966年) - 全米54位• ブルー・スター(1966年) - 全米120位• 二人の銀座(1966年) - アメリカでは「Ginza Lights」というタイトルで、「Arabesque」のB面として発表された曲。 山内賢、和泉雅子の歌唱でヒット。 青い渚をぶっとばせ(1967年) - 日本のみA面で、アメリカでは「Theme From 'The Wild Angels'」のB面。 ハワイ・ファイブ・オー(1968年) - 全米4位• (1968年) - 全米83位• さすらいのギター(1971年) - 日本のみのシングルカットで、アメリカではシングル未発売。 ベンチャーズ歌謡 [ ]• 二人の銀座 、山内賢 1966年 - Ginza Lightsとして作曲され、日本語の歌詞がついた。 北国の青い空 奥村チヨ 1967年• 京都の恋 渚ゆう子 1970年 - アメリカでは「Expo '70 Kyoto Doll 」というタイトルで発表された。 雨の御堂筋 1971年• 京都慕情 渚ゆう子 1971年• 長崎慕情 渚ゆう子 1971年• 北国の別れ 三枝マモル 1972年• 雨降る雨降る港町 桐山和子 1972年• ひとりゆく さすらい旅 青木リカ&アルファード 1972年• 明日へ走る 里見洋と一番星 1972年• マジックナイト 李朱朗 1972年• あの人は今札幌 李朱朗 1972年• 回転木馬 1972年• そよ風の世界 須藤とし子 1973年• ひまわり君 田中美智子 1976年• 夏の海より好きよ オリーブ 1992年• 共犯者 玲奈 1992年• 六本木ストーリー LILIKO 1992年• 港のひなげし 1971年• さよならを言わないで エミー・ジャクソン 1992年• 脚注 [ ]• Japan Times. Japan Times. 2018年9月12日閲覧。 , p. 120-131. , p. 19-24. , p. 139. , p. 24-32. , p. 32-36. , p. , p. 62,68. , p. , p. , p. 147. , p. 148. , p. 116-117. , p. 188. , p. , p. 150-153. , p. GRAMMY. com 2010年10月18日. 2018年9月13日閲覧。 , p. 7,155. 毎日jp 毎日新聞社. 2008年3月13日. の2008年3月15日時点におけるアーカイブ。 , p. , p. 2019年10月12日閲覧。 www. msn. com. 2019年10月14日閲覧。 , p. , p. , p. 106. , p. 156. , p. 68-70. , p. 144. , p. 193-223. 参考文献 [ ]• 『エレキ・ギター・ブック 11』、2003年1月18日。 Joel Whitburn Presents The Billboard Hot Charts 100 外部リンク [ ]• この項目は、(・・・・など)に関連した です。

次の

楽天ブックス: EMIプレミアム・ツイン・ベスト::ダイアモンド・ヘッド〜ベンチャーズ・ベスト

ベンチャーズ ダイヤモンド ヘッド

平井陽一朗 [BCGデジタルベンチャーズ マネージング・ディレクター&パートナー ジャパンヘッド] ひらい・よういちろう/BCGデジタルベンチャーズ(BCGDV)マネージング・ディレクター&パートナー ジャパンヘッド。 1974年、東京都生まれ。 米国の公立高校を卒業後、東京大学経済学部卒業。 三菱商事を経て、BCG(ボストン コンサルティング グループ)へ入社。 その後、ウォルト・ディズニー・ジャパン、オリコン取締役副社長兼COO、ザッパラス代表取締役社長兼CEOを経て、BCGに再入社。 同社パートナー&マネージング・ディレクターを経て、BCGDV東京拠点を立ち上げ、現在はBCGDVマネージング・ディレクター&パートナー ジャパンヘッドとして同拠点を率いる。 デジタル領域における企業・事業戦略や事業開発などを中心に数多くのプロジェクト、事業立ち上げを手掛ける。 BCGウェブサイト• 平井陽一朗 企業変革のレシピ~ Change to Win~ なぜ多くの企業が変われないのか、変わるために何をしなければいけないのか。 日本の大企業が、イノベーティブで強い企業に変わるために、すぐにも着手すべき変革を提言する。 平井陽一朗(BCGデジタルベンチャーズ マネージング・ディレクター&パートナー ジャパンヘッド) では、新型コロナウイルスの影響が続く状況下で、企業のデジタル・トランスフォーメーション(DX)が劇的なスピードで推進されつつある現状を紹介した。 また、企業変革を一気にやり切れるかがコロナ後に生き残るためのカギであるという前提に立ち、企業変革を阻害する5つの要因のうち、トップ・リーダー層の頻繁な人事異動や縦割り組織について述べた。 今回は2つ目の要素である、トップ・リーダー層のデジタルリテラシーの大切さについて考えたい。 日本の経営層のデジタルリテラシーは 危機的に低いと感じている 私が日々、日本の大企業のトップ・リーダー層とご一緒するなかで、彼らのデジタルリテラシーが諸外国と比べて低いと感じる場面がある。 たとえば、経営層自身が日常生活で新しいアプリやデジタルサービスを使っていない、Slack等のコミュニケーションツールを活用していない、仕事のメールの返信が遅い、時には返信すらせずに放置するといった行動に驚かされることがある。 加えて、大企業とともに新規事業に取り組むなかでは、いわゆる「ITシステム」に手を入れようとしたとき、経営層の多くが自社のITシステムの現状を把握しておらず、情報システム部門や外部の開発ベンダーに任せきりにしている状況に必ずといってよいほど直面する。 私は、このような経営層のデジタルリテラシーの低さが日本企業の大きな課題の一つだと考えている。 新規事業とITシステムは切り離せない関係にあることが多く、さらに言えば、既存事業や経営全体においてもITシステムは重要な役割を果たしているからだ。

次の

■ギター初心者さん向けにベンチャーズ「ダイヤモンドヘッド」を少しずつ解説して行きます!パート1■

ベンチャーズ ダイヤモンド ヘッド

ギター初心者さん向けのゆっくり丁寧解説になりますので、 今までベンチャーズ「ダイヤモンドヘッド」が気になっていたギター初心者様、 是非この機会に挑戦してみて下さい。 様々な基本テクニックが盛り込まれた曲ですので、非常に良い練習になります。 オリジナルと同じスピードで弾くのはかなり難しいと思いますので、 しっかり正確に弾ける速さまで落として、じっくりと練習してみて下さい。 今回のパート1は曲の出だし、冒頭部分の2つのフレーズのみの解説です。 ポイントとなるキーワードは ・オルタネイトピッキング ・ブリッジミュート です。 それではThe Ventures 「Diamond Head 」解説動画をご覧ください。 YouTubeページが開きます。 いかがでしたでしょうか? なかなか演奏のスピードが速くならない!とおっしゃる方にお勧めの教材! 是非チェックしてみて下さい。 往年のギターインスト風スーパーレッスン曲の 解説教材は以下になります。 デモ演奏もご覧いただけます。 是非チェックしてみて下さい。 今回も最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。 当方、完全オリジナルのギター・ベース用の教則DVDを制作販売しております。 まずは各教則DVDのデモ演奏だけでもご覧ください。 KOTA MUSICのカラーがお分かり頂けるかと思います。 DVDのご紹介ページはこちら ブログランキングに参加させて頂いております。 宜しければ以下のバナーをポチっとクリックお願い致します。 当方のYouTubeチャンネルは以下になります。

次の